どこよりゲーム天国 1

僕が今アルバイトしている会社は非常に小規模で、アルバイトを含めて10人もいない。
週に一回LT大会みたいなのがあるわけなのだが、毎週全員発表がある。テーマがない、あっても非常にゆるやかという一般的なLT大会とは少々違って、毎回テーマが決められている。「これから来るだろうWEBサービスはなにか」とか、「現在自分たちの作っているサービスに足りないものを他のサービスに見つけてくる」とか。

そのなかで、「最近ゲーミフィケーションという言葉が流行っているが、面白いゲームとその面白さ」というテーマの回があった。そこでホントはかなり語りたい事があったんだけれどもLTということでほんの少ししか語れなかった。そこで、ここで思うところをつらつら書いてみようと思う。

  

まず、ゲーム歴からいってみる。
僕はいわゆるゲーマーではなく、同世代の中ではやった本数はかなり少ないと思う。いわゆる教育ママに育てられて「テレビゲームなんてしちゃいけません!勉強しなさい勉強!」という環境にいた人よりは多いと思うけれども。でも、一本あたりの集中度は相当高いほうだと自負している。特に従姉妹にアルティマニアとセットでもらったFF8はもうアルティマニアが壊れるまで(ページがとれるまで)熟読していたし、ネットを手に入れてからはDQ大辞典、FF用語辞典を読み込んでいたりもしていた。

小学校前半の頃は、64全盛期だった。といいつつ、実は64は世間では全然売れてなくて時代はPSかSSかだったらしい。というわけでこの時代はその時何歳だったかによってかなり印象が違うのではないだろうか。
64で印象に残っているのはスマブラとヨッシーストーリーくらいで、他にも多少はやったんだろうけど
ヨッシーストーリーは子供向けゲームにしては難易度が高く、結局クリアしたのは大学生になってからだ。スマブラはいまだに研究室でやっているけれども、スマブラをやるメンバーの中では僕がダントツに弱く、いかに「漁夫の利」を狙うかの勝負になっている。

この時代は携帯ゲームのほうが主流で、ポケモンとテリーのワンダーランドをやっていた。ポケモンのほうは実はそれほど好きというわけでもなく、周りがやっているから…という側面が強かったと思う。ポケモンは奥が深いというけど、「3値がどうのこの」とか言われても全然燃えないのである。
どういうわけか周りに通信ケーブルを持っている人がぜんぜんいなくて、対戦してなかったし。テリーのワンダーランドは好きだったんだけど、小学校の頃は????系を一体も作ることができず、「にじくじゃく+ゴールデンスライム+しんりゅう」とかだった気がする。でも高校生の頃起動してみたら、テリーの歩み遅すぎィ!と思った。昔はよく我慢してたなぁ。
イルルカは当時はやっておらず、ずいぶん後になってやったのだが、あれは微妙。いくらなんでもストーリーが薄すぎる。
やはり僕の場合、他人と競うゲームよりも「物語を生きる」ようなゲームが好きなんだと思う。

小学校後半(関西に引っ越した小5冬以降)、初期型を買ったのにDVD再生専用になっていたPS2が本格稼働。DQ7にはまった。今でもDQシリーズでは7が一番好きですね。
特にダーマ編の長さはたまらない。ダーマ編が終わってしまう時はまだゲームとしては序盤なのにひとつの物語が終わってしまうような物悲しさを感じた。
DQ7はボリュームありすぎ、といわれるが僕ははじめに7をやってしまったせいで7が基準になってしまっている。これぐらいボリュームがあったほうが感情移入しやすいし、終わるときの寂しさ(これがあるのが良いゲームである)も増す。
RPGではゲームの物語の中でもいくつもの別れを経験することになるが、もっとも大きな別れはクリアすること、つまりプレイヤーとアバターの別れだ。その別れがどれだけ感慨深いものかが、(JRPGにおいては)ゲームの良さの尺度になっていると思う。
DQ7は普通のゲームよりも「別れ」が多いというのがポイントかもしれない。

かといってそこでもともと予定していなかった続編を出すのは駄目だと思う。ちょっと前に「続編が出るのはファンとしては嬉しいけど、けどそれって(主人公)たちにまた悲しい出来事がふりかかるってことなんですよね。」という書き込みをみて妙に感慨深かったんだけれども、まさしくそういうことだ。

最近はDQよりもFF派なのだが、(といってもDQは3,4,5,6,7、FFは2を途中まで,4,5,6,7はほんの序盤,8,10のみ)なかでも4,5は二強だと思う。
4はいわゆるFFっぽさがないシステムというか、キャラの成長はすべてレベル依存というシンプルなもの。だけど、おかげでバランス調整がとてもよく、ゼロムス戦はまさしく「死闘」になった。やはりRPGには「裏ボス」は不要で、「物語上のラスボス」が全力を注いで倒す対象であって欲しい。
FF5は4とうってかわって多彩なプレイができるジョブシステムが売りだが、普通にプレイする上ではどのジョブもきわだって強いわけではなくよいバランスだったと思う。
6以降はバランス調整が大味で、JRPGとしてはどうなの?と思ってしまう。特に10は全モンスターの強さを数直線上にならべたら弱い方の半分にラスボスが入るんじゃないだろうか。
8,10ともにイイハナシダナーとは思うんだけども。X-2はどうなんでしょう。タイニービーはちょっと欲しいけど、本編はやりたいと思わないなぁ。
2は結構すすめたのに、PSPごとオーストリアのどこかに忘れてきてしまった。

DQに関して言うと、4,5,6あたりは団子なんだけれども、こいつらは4コマがあってこその楽しさがあると思う。僕がやったのはすべてDS版リメイクなので会話システムがついていた。もともとDQ4コマ劇場をよく読んでいたのでそれがあって楽しめたという側面もあるような気がする。あと、7基準で言えばボリューム不足でいまいち感情移入できなかった。(ビアンカ・フローラ論争とかもそんなに盛り上がる話か?と思う。)
強いて言うなら、やっぱりラスボスも含めてキャラクターの立っている4だろうか。バルザック+戦のときにジプシー・ダンスが流れるとか、いい演出だと思う。
5はラスボスが空気過ぎるし、6はラスボスをはるかに超える奴がいるというのが。
DQシリーズ全般的に、FFよりも街が結構しっかり作られている気がする。きちんと統計をとったわけじゃないけど、FC,SFC世代のFFはほんとに最低限の人しかおらず、建物もあまり入れなかったのだが、DQはそこらへんの作りこみがしっかりしてたような。本編にはまったく関係しないのだが、こういうのが物語にどれだけ入り込めるかを左右しているのではないか。

大学時代は少々FPSにハマったんだけれども、マルチではまったくやらなかった。(中学生のころはWolfensteinでマルチやってたけど)BF Vietnamは古いゲームなので人がいないし、CoD:MWシリーズはストーリーモードが楽しいし。
個人的にはベトナム戦争を題材にしたものがもっと増えて欲しいのだが、なかなかないですね…。
CoD:MW2は、いわゆる典型的なアメリカの田舎町が侵略されるみたいなストーリーがあって、これは若者の愛国心を掻き立てるためのイデオロギー装置なんじゃないかとも思いつつだったけど、よく出来てる。自分はアメリカの生まれじゃないので想像でしか語れないのだが、あのマップはアメリカ人(特に郊外に住むような)にとってはかなりリアリティをもって受け止められるのではないだろうか。アメリカのキモオタはあれでネトウヨ化するに違いない。
CoD4:MWからして冒頭なすすべもなく射殺されたり(そういえば、CoDはけっこうプレイヤーとアバターの組み合わせが入れ替わる。)自然と敵に対して憎しみを持たせるような作りになっている。

とまぁ、時系列順に書いたりシリーズ別に書いたり入り混じってるけれども、基本的にはこんなゲームたちが記憶に残っている。
では、そこからゲームの面白さはどう求められるのか?

続く