オリンピア

「テレビ」に興味を持つきっかけはブルデューの「メディア批判」なんだけれども、この最後でオリンピックについての記述がある。
念のためいうと、国際的なスポーツ大会のほうのオリンピックであって、日本のスーパーの話ではない。(ちなみにオリンピック三ノ輪店には大変お世話になっています。)

それとはあまり関係ないんだけれども、ぶっちゃけオリンピックってそこまでみなさん興味持ってるものなんだろうか。
自分も暇珍しい競技を中継していた場合なんかは見入ってしまうことはあるんだけれども、それも無料(NHK受信料は考えない)で見られるからである。仮にオリンピック中継を見たいなら500円のオプション料金が必要とか言われたら絶対払わないと思う。

  

オリンピックと金の問題といえば「国立競技場」だけど、国立競技場にはいろいろと使い道があるだろうし建築に興味が無いことはないので別にいい。それより選手の育成に税金を投入するのは理解できない。
オリンピックがアマチュアの大会なのであれば、選手が自分で稼ぐか他人に夢を託してくれるようなあしながおじさんを見つけてやりくりすればいい話である。

日本には(隠蔽されているが)今日の糧に困っている家庭もある中こんなものに税を使って「目指せ金メダル30個!」とか恥ずかしくないんだろうか。
(特に最近はメジャースポーツでは控えレベルの選手を「メダルが取れそうなマイナースポーツ」の選手に配置換えさせるようなこともやっているらしい。その後衰えてスポーツ行政にとって「用済み」になった選手の再就職とかも考えてやってるんだろうか。スポーツ一筋の子供の夢につけこんでいるだけにしか思えないんだけれども。)
同じ国籍を持っているというだけですれ違ったことすらない他人が金メダルをとったところでほんの数時間、数日の話のタネにはなれどホームレスに夜風雨を凌ぐ場所が与えられるわけでもなく、貧困家庭の子供の空腹が満たされるわけでもない。
選手の方も使い捨てられたら中国のように貧困に陥る可能性も高いと思うんだけど、実情はどうなんだろうか。

なにかにつけて「夢」とか「感動」とか抽象的でゴキゲンなワードを結びつけて興味ない・関係ない人間にも負担を強いるやり方はいっときの「絆」的な気持ち悪さがある。嫌だと言ったら非国民的なあれ。話はかわるけど、沖縄の基地負担に対して「絆」とか「苦しみは分け合おう」とか言ってるのはみたことないですね。
(「絆」自体は悪いことじゃないけど、行政が「絆」とか言い出すのは責任放棄でしかない。)



プロ野球は極めて健全で、プロ野球選手は確かに高給をもらっているがその出処はチケット代やらグッズ売り上げ(あとは親会社から?)で賄っている。つまり負担をしているのはプロ野球を楽しみ、その対価に金を払ってもよいと考えている人だけ。(+広告効果を期待する企業)
観客は野球を楽しむために積極的に代金を払い、チームや選手はそれを元手に今後も観客を楽しませるためにトレーニング環境を整えたりファンサービスをしたり。とても良いサイクルが回っている。プロスポーツよりアマチュアスポーツのほうがピュアな響きがするけど、プロスポーツのほうがよっぽど純粋。むしろアマチュアのほうが都合よくアマチュア精神とか「不純物」を持ち出してくる気がする。
(高校野球に関しては非常に問題があると思うし、やめたほうがいいと思う。本気で野球をしたい/させたいなら学校でやらずにプロ傘下のユースチームでやってほしい。)