ホール・ニュー・ワールド

用語集というのは実は大事なもので、それぐらいこいつも同じ意味で捉えてくれてるだろうなと思っているとつまづくことがよくある。そもそも今議論の対象にしているAについて相手が矛盾した理解をしているというのであればその矛盾を指摘すれば済む話なのだが、相手はそもそもAという言葉の指示内容をこちらと異なって捉えており、その上に論理的な展開をしているといったときにはもうおたがい否定の応酬で時間がすぎることになる。

そもそも間違えを誘発するような要素が言葉に刻み込まれていることがある。「性癖」という
「癖」が嗜好を表すという認識がないので僕は間違えようのない言葉だと思っていたんだけれども、前半に引きづられて、しかも誤用の方向があれなので、もとの意味で使いたい人も「変な意味に取られたくないしわざわざ「性癖」なんていわなくてもいいか」、なんていう作用も起きているような気がする。
「性癖」の誤用の広まりは意味の社会における「内容の恥ずかしくなさ」の非対称性という問題がからんでいて、実はほかのものとは一線を画しているように見える。

「誤用」側はもとより性的な話題をしたいときに「性癖」を用いるので抵抗はないが
「正用」側は誤解されたくないので「性癖」の使用を控えるようになる?


  

古くから使われている言葉についてはしょうがないんだけれども、造語を作る際にはなるべくそうとしか捉えられないような響きにするのが望ましい。

「消費社会」という言葉があるけれども、これはあまりいい言葉ではないと思う。「消費社会」という言葉は経済活動の中心が生産ではなく消費になり、それにともない娯楽産業や文化産業といった欲求ではなく欲望のレベルにかかわるような産業が隆盛をきわめる社会のことをいう。
しかし、この言葉はかなりエコロジー方面な響きがして、「資源を大量に消費する社会」とか「エネルギーを浪費する社会」とかいう使われ方もされている。(と思う。)そういった場合は「大量消費社会」というふうに区別がなされている場合があるけれども、これだと「大量」+「消費社会」という接続を想起させてしまうのでやはりよろしくない。


消費社会でイメージ検索すると、環境系のものがちらほら


両者はまったく無関係かと言われれば微妙なところだが、(エコロジストにとっては欲望にかかわる産業は「無駄」なものが多いだろうし)まぁ射程は大きく異なっている。


というわけで前置きよりはるかに短い本題に入る。

僕はキャラクターのついた「もの」があまり好きではない。別に硬派を気取ってるとか「カワイイ」とか馬鹿みたいだよねというんではなくて、捨てたりするのに心理的な抵抗を感じるからである。
だからお菓子の箱とかティッシュの袋とか、どう考えても用が済んだらすぐに捨てるに決まってんじゃんというものにキャラクターがプリントしてあったりすると来るべき別れの時を思って暗澹たる気分になるのである。

ディズニーストアで売られているキャラクター柄のお菓子など、ものすごいペースで売れているみたいだったけれど、おそらくおなじくらいのペースで捨てられているんだろう。
「夢物語」が次々と消費されているのである。

この現象に対して、精神は加速せずにはいられない。