東大一直線

昔から教育に対してテクノロジーを応用しようという試みがある。

まずは○々木ゼミナールが有名な衛星同時中継授業。これは中央で行われる授業をリアルタイムで地方の校舎の教室で同時中継するというものらしい。
これは実際受講したことがないのでなんとも言えないが、○々木ゼミナールの授業自体が一方通行性の強いものらしいので、あまり普通の授業と変わらないんじゃないかと思う。


次に○進ハイスクールのやっているDVD授業。これは校舎に行って個別ブースで授業を収録したDVDを視聴し、最後に課題を解いて添削に出すというものだ。
衛星中継とは違い、時間割に拘束されず自分の好きな時間・順序で授業を受けられる点が大きな違いだ。

○進ハイスクールはDVD授業をVOD化し、自宅で受講することも可能にした。添削課題の提出もFAXや郵送で可能。これによってさらに時間の自由度も増し、予備校への通学時間がかからないという利点がある。

ちなみに、○進ハイスクールの東大合格実績は「東大特進コース」という裏メニューによって水増しされている。DVD講座で受かってる人はどれだけいるのだろうか。

ここ数年は、○クルートのスタディサプリを代表としてスマートフォンで授業を見ることができ、自宅以外でも受講できるタイプが出てきた。しかも月額1000円程度の低価格で。
これは価格から考えると、添削などのサービスは提供せずに授業動画を見せるだけのサービスだろう。

そして現時点での最終進化系が○ワンゴのN高校。これに付随して展開される大学受験コースの授業はライブチャットのような感じだ。VODの持つ「好きな時間に好きな順序で」という利便性は失われる代わりに、授業中に講師に質問したり、逆に講師に当てられたりといった双方向性を持つ。(これじたいはすごいと思う)

本質的に「違う」

……

  と、受験勉強にテクノロジーをかけあわせてみようというチャレンジは長い歴史を持ちいろんなアプローチで行われてきた。

しかし、残念ながらこれらの試みは受験教育の本質というものを見失っていると言わざるをえない。

極論すると、大学受験までの教育に関しては「授業の内容」なんてものは意味を持っていない。
塾や学校に求められているのは生徒に対する外的な抑圧と、その抑圧の内面化である。

たとえば宿題をやってこなければ怒られる→嫌でも宿題をする というのは外的な抑圧である。しかし、宿題をやってこなくて怒られるのは、教師と生徒の一対一関係にはとどまらない。
先生に怒られているのを他の生徒に見ることの恥ずかしさというのが重要なキーになってくる。
同様に授業中先生に当てられて答えられないでいるのを見られるのも恥ずかしいことだ。
これらは自分がその目にあう必要はなくて、他人がやられているのを笑いつつ「自分はああならないぞ」と思うだけで十分なのだ。
また、自分の周りにいる他生徒と自分を嫌でも比較せざるを得ない環境も大事だ。常に自分を「よく知っているあいつ」と比較し続け、あいつには負けたくない、勝ちたいという気分にさせることも重要である。

社会の仕組みを叩き込むってやつですね


わかりやすく言うと、「勉強ができる=良い/勉強が出来ない=悪い」という学歴社会の審級を内面化することこそが受験教育の本質なのである。
この審級が内面化されれば、あとは勝手に努力し始めるはずだ。
結局偏差値を上げるのは当人の努力であり、良い講師・ハイクオリティな授業なんてほとんど寄与していない。(良い教材は寄与すると思う)

以上より、自分は受験教育においては旧来の学校-塾システムは改善点が多数あるように見えて実はスキがない洗練された形態であると考える。



一応自分の立場を明らかにしておくと、開成→東大→東大院という経歴を持っており、その点で間違いなく現代学歴格差社会の受益者であり、既得権益を持っているものである。
というわけで、この既得権益を防衛しようという反動性を持っているのもしょうがない。

ここまで言っておいてそれは逃げだよ、というかも知れないが、別に自分は東大に行ってれば偉いというつもりはない。
ただ東大に行くのがいいことだ、京大に行くのは次にいいことだという価値観を認めるのであれば、テクノロジー×受験勉強というアプローチは見当違いじゃないの?ということである。
真面目な話、自分の生まれた地元で高校卒業したら就職して結婚して二世帯住宅に住んで…というマイルドヤンキー人生が幸福そうだし、おすすめだと思う。


・受験勉強が楽しいっていうことはないと思う。だって受験勉強って「答え合わせをする」とか「ただややこしいだけの計算を手計算でする」とかどうでもいい事務作業がほとんどだし。

・スタディサプリとかって、ぶっちゃけ親が学歴エリートであれば意味が無いとすぐわかると思う。あまり高度な教育を受けてなくて子供に何をしてあげたらいいかわからない親を騙してるように感じる。