随分前に書いた文章が出てきた

卒論も終わったことだし、前からやりたかったいろいろなWEBサービスのアカウント整理(使っていないものを削除)をした時に、ずいぶん前に書いた文章が出てきた。
情報学環教育部というものの受験をしたときの文章で、以下のようなものである。

平成24年度(2012年度)の筆記試験の概要と自分の解答

梅棹忠夫という人の「情報の文明学」を読んで答えなさいというものだったのですがこの名前どこかで聞いたことあったなぁと感じました
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梅棹 忠夫
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第一問目:コミュニケーションを送り手と受け手とがあってその間で伝達されるものだといった考え方をした人かそういう理論について書けという問題(300字)
今年から大問がひとつになって知識問題の小問がなくなったらしいのでこれが代わり?僕はうろ覚えのシャノンの情報理論について書こうとして情報は負のエントロピーで…と書き始めたもののなにしろうろ覚えなので字数が全然足りず、不確定性原理を持ちだして「情報とは本来、確定できないものなのかもしれない…」という文面でフィニッシュ。

 

これを書き終わった時点で20分以上たってたので、諦めました。だって後2つは800字の記述と、解答用紙裏表を自由に使って…という大きなものが控えてたんですもの。

 

第二問目:梅棹兄貴は情報の「受け手」という概念を廃棄しろと言ってますが、この観点からインターネットについて梅棹兄貴はどう考えるだろうか想像して書け(800字)
情報の文明学っていうのは1988年の文なので、インターネットについては何も書いてないらしいんですね。この問題のポイントは、「続きの文章を作成せよ」ってとこで、おそらく梅棹兄貴の文章を考えて書かなくちゃいけなかったんだろうと思います。でもそんなことはどうでもよかったので、梅棹兄貴の多分理系的な文章とは似ても似つかない文章を書いてました。

 

インターネットに限らず情報は流体で、我々は受け手送り手に区別されない流体力学的機械(水車みたいなものでしょうか。自分でもよくわからない)である。情報の純粋な送り手なんてものが存在したらそいつのタンクはすぐに空っぽになって、純粋な受け手だったらパンクしちゃうでしょう?みたいなことを600字くらい書きました。800には届かなかったです。
まあアンチ・オイディプス読んでる時だったんで。第二問と第三問は行ったり来たりしながら解いてたんで残り時間はよくわからない。

 

第三問:「情報とコミュニケーションの現在」というシンポジウムで3時間のセッションを企画し、その企画書を書け(解答用紙一枚裏表自由)
これ、3時間という条件にきちんと反応して時間分けとかきちんとしてた人もいるみたいですね…。この部分全く無視してました。
Twitterとかが普及して我々は情報に早くリプライしなくちゃいけなくなって、深読みしなくなった。ゆえに、表層だけを見てそれにアクションをする傾向が強くなったこれがアラブの春とかそういうのにつながったけど、これはベンヤミンがバタイユたちを評して言った言葉「前ファッショ的耽美主義」と近いものがある…ということを表一枚に書き、裏はわずかなメモ書き程度の「集めたら面白そうなデータ」というもの。

 

これじゃまるでパンフレットの序文程度でそもそも企画書になってないなとは自分でも感じていたのですが、企画書らしくする方法もわからないので…。
これで受かってたら面白いなwとか試験が終わってから思ってたんですが、本当に世の中って面白いんですね。一次通ってました。
もしかしたら、面接で吊るし上げるためなのかもしれませんが。
 


結局、面接で落ちたんだけど、今になって見返すと問題文にきちんと答えられていないなぁと。