書誌情報
タイトル: 『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』 著者: ケヴィン・ケリー

- 作者: ケヴィン・ケリー,服部桂
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/07/23
- メディア: 単行本
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概要
今後のテクノロジーの進化が備えていると筆者が考える12の性質について
12の性質とは
- Becoming
- Cognifying
- Flowing
- Screening
- Accessing
- Sharing
- Filtering
- Remixing
- Interacting
- Tracking
- Questioning
- Beginning
各章
Becoming
終わることのないアップデート(技術進化)は、人間の心の貧しさとあわせて語られることもある。しかし、満足せずに「もっと」を求める不満足こそが人間の創造性や成長をもたらした。 自分なりにいうと、人々のあてのない欲望を特定の技術の形態が整流すること、といえるだろうか。「早く移動したい」という漠然とした欲望が自動車という技術と出会うことで、「よりパワーの有るエンジンがほしい」「より空力性能のよい形にしたい」といった具体的な欲望になる。
Cognifying
AIはあらゆるところに行き渡ると同時に、隠れた存在になる。つねにスイッチを入れれば同じ動きをするのではなく、ほんの少し「外の世界」が見えるようになるだけで、あらゆるものが変化する。これらの「知能」は特定のタスクをうまくやるためのもので、爺意識を持つようなものではない。 かつては、「水や空気の温度を一定に保つ」ことができるのは知性を持った人間だけだと考えられていた。しかし、サーモスタットによってそれは可能になった。その後、「水や空気の温度を一定に保つ」ことは知的なことだとは考えられなくなった。
「人間の知性」にしかできないと考えられていたものが「人工知能」によって奪われるにつれ、奪われたものは「人間の知性」とは無関係のものだと考えられるようになった。多くのものを奪われるにつれ、人間の知性の本質に近づいていく。 人間には、ロボットにさせる仕事を与えるという仕事だけは残る。
Flowing
インターネットはコピーする。情報はオリジナルが移動するのではなく、コピーが新しい場所に作られる。 我々はオリジナルを所有している必要はなく、いつでも必要なときにコピーをもってくればよい。
無限にコピーできるものには希少性はなく、お金を払う価値はない。では我々は何に価値を感じてお金を払うのだろうか?
- 即時性 - パーソナライズ - 解釈(というよりサポート?) - 信頼性 - アクセス可能性 - 実体化 - 支援者(クラウドファンディング) - 発見可能性(キュレーション)
銀行(というか金融業)の重要性と通じるものが多い。銀行の場合は信頼性(お金を盗まれる心配なく代わりに持っておいてもらえる)、アクセス可能性(自分の預金をどうするか指図できる)、実体化(必要なときは現金化できる)といったものがわかりやすい。
特に日本では物自体を生産することばかりが偉いことだと思われがちだと大学の指導教官も言っていたが、その風潮はあると思う。反対に金融業なんか半分詐欺師みたいな扱いを受けている。でも、ものの配分を調整したり利用可能製を高めたりっていう仕事のほうが重要だと思う。
Screening
この章はダメだと思う。前の章がけっこういいなと思う反面。いたるところに画面があってアクセスできる、、80sなSFの世界である。 ただ、本題からそれたところでいいことが書いてある。
それにコードは、法律以上にとはいかないにせよ、法律と同じように行動を規定することもできる。オンラインやスクリーン上での人の行動を変えたかったら、単にその場を支配するアルゴリズムを変えるだけで、集団行動を監視したり、人々を好ましい方向に誘導したりすることができるのだ。
「これをしちゃダメ」と相手を抑圧するのではなく、自分では他人に操られていると知らずに望む行動を取らされている。そーいうテクノロジーを僕も作りたい。
Accessing
「所有権の購入から、アクセス権の購入へ」。音楽を聞くためには、かつてはレコードを買わなくてはいけなかった。それがCDレンタル(&MDやカセットへのダビング)、MP3ダウンロード、そして定額制のストリーミングへと変化。もはやハードとしてのメディアはおろか、デジタルファイルとしてすら「所有」はしない時代に。
ものを買わずに、共有するというスタイルはこれからも加速していくだろう。うちもカーシェアはよく利用しているし。この本の大きなテーマは「名詞から動詞へ」という流れだ。我々は「移動したい」のであって、そのための答えとして「車」は今のところよい答えである。でもそれは必然ではなく、他の手段でもよいのである。
でも人の欲望には「動詞」に還元できない「名詞」へ向かうものがあるのも間違いない。「寒さをやわらげたい」だけならわざわざヴェルサーチのマフラーを買う必要はないのである。テクノロジー信仰の強い人々はあまりこの感覚をもっていないのではないか、というニオイがする。
Sharing
人々の無償のはたらきが価値を生み出している。その共同体に所属することによりほかの人のはたらきによる恩恵を得ることができるし、自分もそこに参加しようという意欲が生まれる。ボトムアップな社会主義。 そういうの悪くないなとは思うんだけど、生産行為それ自体が分散して行えるようになった今こそ舵取りをするリーダーの重要性は高まっていると思う。
というより、そうでなければ「良いもの」は生まれないだろう。コミュニティの生み出すものは「足し算」は特異だと思うけど、「引き算」は難しい。みんな自分のほしい要素を盛り込みたいし、人のほしい要素を否定したくない(自分もそうされる可能性があるから)でも良い物って足し算よりも引き算のほうが重要なわけで。
Filtering
選択肢が増えすぎた今、何を選べばいいのか教えてくれるものが必要。
フィルターは人間から見るとコンテンツに注目している。逆にコンテンツの方から見ると、人間のアテンションに注目している。コンテンツが潤沢になれば、人のアテンションが希少になる。
Remixing
動画や静止画、音声といったコンテンツは世の中に溢れている。これらをマッシュアップし、新しいものを作り上げることができる。これは文章を書くことと似ている。文章を書くことは、辞書の中にある言葉を組み合わせることで文章を作り上げることである。
マルチメディアと言葉が違うのは、「インデックス」の作りやすさ。ことばが規則正しく並んだ辞書のように、動画や静止画が整理することは今の段階では難しい。それらが可能になれば、よりマッシュアップは加速するだろう
Interacting
これまでのコンピューターは、人間に見られたり聞かれたりするためにあった。人間がコンピューターを操作するには、キーボードやマウスと言った「コンピューターを操作するための装置」を使って働きかける必要があった。しかし、これからはコンピューターのほうが我々を見て耳を傾ける時代になってきている。
という主張であるが、これに僕は否定的。せっかく指一本をちょちょいと動かすだけでいろいろなことができるようになったのに、どうして今更全身を激しく動かさないといけないのか。SF映画やゲームではやはり画面に「映える」けれども、実際エクセルで書類を作るのに腕を激しく動かして踊らないといけないといわれたら、嫌じゃないですか?
Tracking
センサーと、センサーが受ける情報を処理するコンピューターと、処理したデータを保存するストレージ、全てが安くなった。今までは捨てられるどころか収集すらされていなかったデータの中から、今まで誰も気づかなかった知見が得られる。(ビッグデータ)
それらを直接身体にフィードバックしていれば、いずれ人間は新しい感覚を手に入れるだろう。
Questioning
新しいことがわかるとき、それ以上に新たにわからないものが現れる。良い質問とは、単に答えを得るだけのものではなく、創造性の源でもある。
Beginning
今について、我々は変化がおわってしまっている瞬間だと考えがちである。しかし、つねに新しいプロセスは始まっている。