8/20-8/26のアンテナ

グーグルがつくる未来都市では、道路が柔軟に「変化」する

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なぜ道路というものが地表に固定的に配置され、車線で区切られ、左側通行だとか右側通行とかいったルールが生まれたのか。信号機や標識といったものが必要なのか。 これって考えてみると、前にしか目がついてないし数十メートルしか見通せない、しかもテレパシーも使えない人間が自動車を運転できるようにするためのものだったのじゃないだろうか。

これはマルチエージェントシミュレーションとかやってた自分の考えだけど、世の中すべての自動車が自動運転車になったら制限速度とか車線とかそういったものは不要になるのかもしれないなと思う。それぞれの車が周囲の状況に合わせて動くと、創発的にその場で交通ルールが決まってくるといった時代が来るんじゃないかと思う。イメージとしてはBoidのような、、、。

ボイド (人工生命) - Wikipedia

既存の街で現実的にそれ(人が決めたルールよりも人工知能まかせにしたほうがいい結果が出る)が許容されるかといったらされない気もするけど、それこそアルファベットとか自分たちで街作っちゃうし、そういうところから徐々に広がっていってほしい。

これって道路以外にも言えて、人間がコンピューターの助け無しでマネジメント/オペレートする都合、時間や空間の区切りを固定化して運用しているものってたくさんあると思う。教室が区切られていて学年とか学期が決まっている学校なんかも好例だ。

ある時代の技術的成約で生まれた区分けが、今の技術水準で必要なのかどうかっていうのは立ち止まって考える必要がある。

人工知能vs.プロゲーマーの闘い、人間が制する──その戦術から見えたAIの「弱点」と可能性

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強化学習の報酬の付け方が、戦術要素に対して高すぎたのかな、とか。戦略的な目標をスコアリングしようと思うと、どういう状況が高スコアというのを人が決めないといけなくなってしまう。

囲碁や将棋はとてもデジタルなゲームというか、盤面がほんの数キロバイトのテキストで表現できる(1KBもいらないかもしれない)。一方で最近のビデオゲームのある局面って、数百MBの情報量がある。これだけでも局所最適に陥りやすそうだなぁというのは感じた。

この記事の趣旨とは外れてるんだけど、最後のこの一説。

「ゲーム内の環境というのは、遊んでいて楽しめるようにシンプルかつ多くの制限を伴うようにつくられています」と彼は言う。「これは数百万の反復シミュレーションを必要とするアルゴリズムにとっては好都合です。しかし、ゲームの世界には現実世界の予測不可能性や困難が欠けているのです」

ゲームの面白さって、そのゲームがどれだけバランス調整しているかにかかっていると思う。そのためにはゲームは閉じていないといけない。その点でブロックチェーン上にアイテムの情報があって、複数のゲームで使えるとかいうブロックチェーンゲームはまず面白くならないんじゃないかなぁと思う。