芸人は面白いからテレビに出るのではなくテレビに出るから面白い
テレビに出ている芸人をリアルに見ても、だいたいはテレビほどは面白くない。
それが編集というもので、間延びした部分や面白くない発言をカットし、面白い部分をよく目立つように適切なズームやフレーミングを行いつられ笑いを誘うような笑い声やテロップ・ワイプを足すことで面白さを増幅することができる。 最近の若い芸人は独自にYoutubeチャンネルを持って活動していることも多いけれども、だいたいテレビで見るのと比べて余計な間が多く、画面もメリハリがなく見続けようという気にならない。 最初からYoutubeの文法に慣れていればよいのかもしれないが、成熟するまでテレビの文法で育った自分は強くそう思う。
「地位が人を作る」みたいな抽象的な話ではなく、「芸人はテレビに出るから面白い」のである。
テレビに出る前に、少し他よりも面白い芸人がテレビに出ることによってどんどんおもしろくなっていき、差異が拡大再生産されていく。
テレビの時間の希少性
そんなテレビの時間は、とても希少である。 最もチャンネル数の多い東京でも、地上波で見られるチャンネルは10もない。 1分あたりに製造される動画の時間は10分だとしよう。
一方で、Youtubeに1分でアップロードされるのは500時間であるらしい。
だいたい、3000倍の違いがある。(しかもYoutubeの動画はストックされるので、いままでアップロードされた動画もすべて視聴できる)
テレビ局はこの希少性が武器となっている。
芸能人がその商売を成り立たせるためにはテレビというチャネルを通るしかなかった。 そのチャネルを寡占していることで、芸能人よりも有利な立場で価格交渉ができる。 同時に希少な広告枠も有利な立場で価格交渉できる。
テレビは、希少性がその競争力の源泉になっている。
映像メディアとアテンション
世の中にはテレビ番組を1.4倍速くらいで見る人はいるけれども、基本的に映像メディアは誰が見ても同じスピードですすんでいく。 頭がいいから早く見られるというわけでもない(「間」というのがあるから、早回しで見ても良い体験は得られない)
人の払うことのできるアテンションには限度があるため、映像メディアはこのアテンションを取るのが比較的大変である。 映画が映画館という映画を見る以外何もできない施設をもっていたり、テレビ番組が定時的に放送されるのはこれと関係するのかもしれない。
突然、今から40分おもしろい番組が始まります!と言われてもなかなか見られるものではない。 日曜20時からかならずやる、ということになっていれば、視聴習慣がつく。
希少性をつかったプラットフォーム
希少性を競争力の源泉にするということはテレビ以外にもいえる。 出版も意外とそういうプラットフォームだ。
Webの世界でプラットフォームというと、より多くの売り手が存在するほうがよいとされているが、希少性を持つようなものも有り得るということだ。
漫画雑誌の連載というのはまさしく同じような力学になっていて、同時期に20くらいしかない連載枠を有象無象の漫画家が取り合うという構図になっている。 テレビ局ほど希少ではないが、それでも潤沢にあるとはいえない。
そして幸か不幸か、出版は映像ほど民主化が進んでいないというか、映像のYoutubeのようなものは存在しない。
金銭的制約
書籍・雑誌の場合は枠の希少性以外に、需要家側の金銭的制約が存在する。 このため、需要家の都合でも寡占がすすみやすい。
1ヶ月に本を買うのに使える予算が1000円しかないとしたら、1000円全部おもしろいかわからないものに使うより、外れなさそうなものを買っておこうと思うのが自然である。 ゆえにジャンプやその看板作品は多くの人気を集めることができる。
ここに出版社と漫画家の利益相反があって、出版社としては数少ない作品が爆発的に売れてくれたほうがうれしいだろう。労力は少なく、売上は大きくなるわけだから売上増と利益率向上が同時にはかれる。 一方で、多くの漫画家からみたら少数の作品に人気が集中するよりも分散してくれたほうが望ましいはず。
ワンピースに需要家の予算をとられてしまうと、他の漫画は残りを分け合うしかない。 ラディカルに言えば、ワンピースがないほうがより多くの漫画家が「食べられる」ようになるかもしれない。
金銭的制約とアテンションの制約、どちらがよりキツイのかは人にもよるだろうけれども、出版業界はプライシングを工夫する余地がありそうだ。
最後に
映像メディアの時間同期性、書籍メディアの金銭的制約というのは市場の違いを説明するのに役に立つかもしれないなと思った。