変な路線名からわかる生涯学び続けられる環境の大事さ

最近、電車の路線名がおかしいと思うことが多いんだけれども、みなさまはどうだろうか。

電車の名前

下に行くほどひどいと思うものなのだが、

「上野東京ライン」:南に向かうのは全部同じ行き先だからいいけど、北にむかうときは、、、

「東武スカイツリーライン」:たしかにスカイツリーは通っているが、スカイツリーのあたりを走る電車はほかにも多数あるので、区別になる名前になってないような。

「東武アーバンパークライン」:これにいたってはもはやどこを走っているのかまったく想像できない。

「東京さくらトラム」:どこを走っているかわからないうえに、売りのポイントすらずれている。都電荒川線は、沿線の「バラ」をいままでずっとプッシュしてきている。

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「荒川線 花」の検索結果

無理してカタカナ言葉を使ったり、誰にむけたものなのかさっぱりわからない愛称付けが相次いでいる。

路線ではないが、高輪ゲートウェイ駅というのもある。

「時代が変わった」に取り残される人々

話は変わるけれども、自分の常識に固執する人たちがいる。

直近で言えば足立区のLGBTQで足立が滅ぶ発言の人とか。

nlab.itmedia.co.jp

表裏一体

一見無関係に見えるこのふたつの現象は、実は裏でつながっているのではないかと思う。その原因として、少なくとも日本では、大人になると新しいことを学ばなくなる、ということである。(日本以外の国で出来ているかは知らない。)

自分の常識が古くなっていることだけを自覚していると、焦って想像上の「世間」に合わせて変なものを出してしまう(東武アーバンパークライン)し、自覚できていなければ顰蹙を買うような発言を平気でしてしまう。

自分も学校を卒業して労働者になってから知ったことなのだが、学校から放り出されると、広く学ぶという機会は勝手に与えられるものではなくなる。 自分は幸い我が強く出せる方というか、勉強をする時間を自分のためにとれている方だと思うが、長時間労働を強いられている人たちの話を聞くと、仕事に関連しないことを学んだり考えたりする暇がない状況に突如として放り込まれてしまう。

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日本は、他OECD諸国と比べると労働者が学ばない国だと言われる。 経済成長をしていないので、学んだところで得られるリターンの期待値と勉強をしなくても得られる期待値の差が小さいということもあり、他に楽しいことがあるのであればなにも学ばないというのは合理的な選択であるといえる。

個人を責めても始まらない

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子供が勉強するかどうかは、両親の習慣によって大きく影響を受けるということが言われる。

成長してからも、まわりの環境によって人は影響をうけることはかわらないだろう。 前述の通り、日本で仕事につくと、まわりにいる人の半数は学ばないひとたちということになる。

その環境でそだってきた人に対して、当人だけを責めるのはあまり建設的ではないように思う。

学ぶことを軽く見る風潮


【大塚食品】ビタミン炭酸MATCH「KAWAKI 午後」篇 30秒

このテレビCMから感じるのだが、学校の勉強は、わからないのが普通という同調圧力すらあるように思う。

globe.asahi.com

正直、この記事は眉唾ものなのだが、もし世の中の多くの大学がそうなのだとしたら、何かを学んで主張することや新しいことを始めるのも、輪を乱す行為としてみなされているのかもしれない。

学び続けるには

やはり、環境を学び続けられる場所にするのが大事。

若い人からも教えてもらえるように、謙虚でいることも大事。