FacebookがMetaと社名を変えたり、
日本メタバース協会なる組織が生まれたり、
ここしばらくメタバースという言葉を聞くことが増えているように思う。
以前、レディ・プレイヤーワンをみたという項目でも述べたように僕はメタバースというものにそもそも懐疑主義の立場なのだが、NFTが基盤になるようなメタバースはなおさら来ないと思う。
「ですます調」で書いていて歴史を感じる
この時点で口調が今っぽくなっている
メタバースとは
Wikipediaには、
メタバース (英: Metaverse) は、コンピュータやコンピュータネットワークの中に構築された現実世界とは異なる3次元の仮想空間やそのサービスのことを指す。日本における意味合いにおいては、基本的にバーチャル空間の一種で企業やVRを活用し2021年以降、新たに参入した人間達が集まっている商業的な空間の事が主にそう呼ばれる。将来的にインターネット環境が到達するであろうコンセプトで、利用者はオンライン上に構築された3DCGの仮想空間に世界中から思い思いのアバターと呼ばれる自分の分身で参加し、相互にコミュニケーションしながら買い物やサービス内での商品の制作・販売といった経済活動を行なったり、そこをもう一つの「現実」として新たな生活を送ったりすることが想定されている。
とある。
なぜメタバースで所有権が必要なのか
メタバースにおいて、現実世界のような所有権を持ち出す技術的な理由はない。 デジタルデータは、本来的には無制限にコピー可能である。 当然、メタバースの中のすべてのオブジェクトも本来無制限にコピーして誰でも好きなように持ててよいはずである。
ではなぜFF14がそうなっていないかといえば、それはゲームとしての面白さを作り出すためである。
メタバースがおもしろい場所になるにはデザイナーが必要
FFやらドラクエをチートコードをつかってプレイしたことがあるひとはわかると思うが、チートコードでアイテムが好きなタイミングでいつでも手に入るようなプレイをすると、最初こそこれまで苦戦していた敵もサクサク倒せるしほしいけどなかなかお金がたまらず買えなかったアイテムも好きなだけ変えるし爽快なのだが、歯ごたえがなくなり過ぎてすぐにつまらなくなってしまう。
それと同じで、FF14の世界でも、各プレイヤーは好きなことを好きなようにできないことで、プレイヤーにストレスを与え何かを達成したときの快感を高めるように成約がつけられている。
無限でないものを努力して手に入れることに快感を感じるとは、無限でないものを努力して手に入れないと生存できなかった物理世界で生きていくためにそうなってきた本能が背後にあるのだと思う。 その本能を刺激できるように制限をつけつつ、魔法を唱えるだとか動物に乗って移動するとか現実世界ではできないことをできるようにするというバランスがあってはじめては持続的に面白い場所になり得るのだと思う。
結局のところメタバースは自律的な場所ではなく、デザイナーが世界を設計しその中で楽しむ場所でしかありえない。 NFTなんてものを持ち出す必要はなくて、単にその中央集権的な管理者のサーバーで管理されていればそれでおしまいなのである。
そのメタバースが特定の管理者に管理されるのではないオープンな世界をといったお花畑的な思考の中ではNFTが必要になるのだと思うけれども、そんなメタバースには中ににいる理由がない。
メタバースに来てほしくない理由:
最近、LUSHがFacebookやInstagramからサインアウトしたことが話題になった。
今回の私たちの決断は、元Facebook社の勇敢な内部告発者によってもたらされた、昨今報道されているFacebookやInstagramが心身への悪影響をもたらす内部調査情報によって裏打ちされています。それは私たちの生活において、若者がアルゴリズムや緩い規制によってさらされている様々な弊害を明確に示すものです。
TwitterからInstagram、そしてTikTokへとどんどんSNSは感覚的な刺激へとシフトしている。 インフルエンサーマーケティングなど新しい経済現象を生み出し、商流自体は生まれているかもしれないが、本質的に人類を愚かに・非活動的に・非創造的にするようにSNSのテクノロジーが進化していると主観的に思っている。
一部のSNSプラットフォームは、人々にスクロールさせ続け、スイッチオフやリラックスができなくなるよう設計されたアルゴリズムを使っており、
となっているところである。
メタバースというバーチャルリアリティと人とのつながりというのは、これをますます加速する流れになるのではないかという危惧がある。
COID-19のおかげで、これまでLCCがどんどん間口を広げてきた「移動」が再び選ばれた人たちのためのものへという流れが生まれようとしている中、メタバースは社会的に下の階層の人たちに、なんとなく満足という場所を与えて格差を固定しかねないものだと思う。 中毒になるように人工的に設計されたルールが設定されたメタバースの中で感覚的な刺激を受け続けて満足させられてしまう人たちと、現実世界を実際に移動し、自然のルールに従って生きられる人たちの間で、分断がおきてしまう。