浅草の思い出

Netflixで話題の「浅草キッド」を見た。

浅草という街は、今でこそ自転車で10分くらいで行くことができるし、普通にご飯を食べにふらっと行けるくらい身近な街なのだが、初めて訪れたときはかなり違った印象がある。

浅草との出会い

記憶に初めて浅草に行ったのは高校に入りたてのころ。2007年である。 当時は公営ギャンブルの街、府中に住んでいたこともありいわゆる東京の東側とは縁遠い生活をしていた。 入った高校が西日暮里にある開成高校という東側の高校であった。西日暮里の隣駅である日暮里からは浅草に向かうバスも出ており、非常に近い街になった。そんなわけで確か学校終わりに家族と一緒に行った覚えがある。

その時の浅草は、六区のあたりに成人向けの映画館がいくつか並んでいて、人通りはまばら。(成人向け映画館は今は一個もないそうだ。) 中川家のモノマネのネタになりそうな老人がまばらにうろうろしていた寂しい街という印象しかなかった。

しかしその翌年、きっと浅草にとって転機となるだろう事態が起きる。 2008年のM-1グランプリでナイツが3位、U字工事が5位となり、急に浅草の「東洋館」が有名になった。

(そして僕も下町のエリアに移り住んだことで浅草も身近な存在に。)

浅草が身近な存在に

さらにはっきりと流れが変わったなと思うのが、川の向こうに建設中の東京スカイツリーが見え始めた頃。

東京タワーの高さを超えたとかでテレビに取り上げられるようになったのか、まだ建設中なのに「スカリツリーがよく見える」ことを売りにした公園がいくつかあった覚えがある。そして、ただ建設中のスカイツリーガよく見える、ただそれだけの公園に結構な人が集まっていたのも覚えている。 (当時は押上に観光客が増えたということもよく騒がれていた。ソラマチができてしまうといなくなってしまうけれども、、)

さらには「インバウンド」。コアなスポットはあるけどこれといった観光地は少ない東京のなかで、一番ステレオタイプな日本っぽい浅草には外国人がたくさんやってくるようになる。 (このころよく夜中に自転車徘徊の帰りに雷門を通りがかっていたが、どんな時間にも外国人参拝客がいた)

それを目当てにした、新しい飲食店やお土産屋さんも多くうまれた。

外国人こそ今はいないが、ホッピー通りは老若男女で盛り上がっている。

僕にとっても、日常的に人とご飯に行くときに浅草で探したりする。

浅草キッドではガラガラだったストリップ劇場も、休日は満員だった。

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栄枯盛衰

ビートたけしがフランス座に立ち始めた頃にはすでに浅草は過去の街になりつつあったことが描かれている。浅草キッドに描かれる浅草は「寂れた街」として描写されているが、実際はさらに人が少なかったらしい。高田文夫いわく、松竹の劇場もあんなに人はいなかったとか。)

ナイツのラジオでも、つくばエクスプレス開業・スカイツリーあたりが転機になるまでは浅草六区のあたりは閑散として寂しい街だったという思い出が語られる。

ビートたけしより若い僕の両親にとっても、浅草という街はずっとさびれた過去の街というイメージだったそうだ。

しかし、ここ10年くらいで浅草はレトロなものは残っているが活気がある元気な街になっている。 「おぼんこぼん」や東洋館を見に、今浅草に初めて訪問する人にとっては浅草という街は活気あふれる街に映るだろう。

というわけで、僕はほんのわずかとはいえ「昔の浅草」を知る最後の世代なのかもしれないな、なんてことを思った。