旅行が生み出すクリエイティブ 今年のゴールデンウィークは1000kmドライブ

今年のゴールデンウィークは、前からやってみたかった「車で遠くに旅行」をやってみた。 目標は総走行距離1000km。(これくらいなら1日で走っちゃう人もいるが、僕にはとてつもなく長い距離だ。)

いくつか候補があったが、伊勢志摩サミットの志摩に行くことにした。

実際の走行距離は帰りに伊勢湾フェリーを使った影響もあり1000kmにはわずかに及ばず、950kmに届かないくらい。

それでも、これまで最長だった黒部ダムを見に行った時が多く見積もっても600kmくらいだったろうと思うと、大幅な記録更新である。

我が家のFIAT 500ももう4年目になるけど頑張ってくれた。自慢じゃないが、カタログ燃費では劣るはずの1.2lエンジン仕様ではあるけど通算燃費が22km/lくらい行っている。23区内に住んでいて街乗りが多いのにこれを出しているのはなかなかのものではないだろうか?

車での旅行での違い

車で長めの旅行してみて思ったのだが、車での旅行は公共交通機関を使った旅行と違う点がある。 それは、目的地までのルートの自由度。

公共交通機関で東京から名古屋まで行こうとすると、新幹線や高速バス、はたまた鈍行列車の乗り継ぎなど選択肢はあるっちゃある。途中下車して寄り道をすることもできなくはない。 が、移動できる道筋というのは決まっている。

一方で、車での旅行は、道筋を自由に描くことができる。

www.k5trismegistus.me

旅行で行くのは基本知らない土地なのでどうしてもカーナビに頼りがちにはなるが、たまに「こっちの道を行ってみたい」ということでカーナビを無視することがある。

これって、道にもやっぱり心地よさ・心地悪さというのがあるということを改めて思い起こしてくれる。

移動がなぜ人をクリエイティブにするのか

旅行から帰ってきてから図書館で「身体が生み出すクリエイティブ」という本を借りて読んだ。

人間のクリエイティブな発想をどうやって促すかを研究する人のかいた雑記のような本である。

この本を読みながら、人間のクリエイティブっていうのはフレームワーク=型の使い方なのだと思った。

型にはまった思考というと、クリエイティブではない思考のことを一般的には示す。 しかし「型にはまった思考」がクリエイティブでないのは、型を使っているからではなく与えられたテーマに対して誰でも思いつくようなありきたりな型を使っているからである。 クリエイティブな思考は、個別単品に魔法のように生まれるのではなく他の人が使わなかった型を当てはめた時に生まれるのではないだろうか。(新しい型を思いつく場合もあるだろうけれども、型は応用可能なので一個できたら次もできる)

例えば、キュビスムという技法は一つの型だし、オードリーのズレ漫才も一つの型であるだろう。 ピカソのキュビスムの絵は最初の1枚だけがクリエイティブなわけではなく、2枚目以降も依然としてクリエイティブである、といえるだろう。

旅行をする意味

現代社会に生きていると、普段は毎日決まった家からいくつかの限られた行き先にいき、また決まった家に帰るという生活を繰り返すことになる。 この生活の中では、意識しないと自分の心地いい場所を求めることを忘れがちになってしまう。 そうすると、無意識的には心地悪さを感じていてストレスフルな環境も当たり前だとして変革する可能性を忘れてしまう。

しかし、旅行では普段のルーチンから自分をあえて切り離される。決まった場所に行くのではなく心地いい場所を自分に探して自由にそっちに行っていい時間が手に入るのだ。 この試みを通して、自分にとって心地良い場所とはどんなところなのか、改めて考えさせるきっかけ作りになるのではないだろうか。

そして、旅先で見つけた新たな心地よさの中にある型を発見して自分の生活に取り入れることで、普段の生活を少し良くする可能性もある。

そういうのが旅行をする意味なのかな、と思った。

このブログがクリエイティブだと自画自賛するつもりはないけれども、、この記事の主題も1000km車で走ってみた経験があってから「身体が生み出すクリエイティブ」を読んだことで生まれているわけだし。

今週のお題「好きな街」