ゲイ・レズビアン・トランスジェンダーという不思議 ~読書メモ:「ボーイズ-男の子はなぜ「男らしく」育つのか」

「ボーイズ-男の子はなぜ「男らしく」育つのか」という本を読んだ。

紹介

あらすじ

女らしさがつくられたものなら、男らしさは生まれつき? 男性、女性、すべての人のために。 フェミニズムが台頭する今だからこそ、「男らしさ」の意味も再考するとき。

自身も男の子の親である著者のギーザは、教育者や心理学者などの専門家、子どもを持つ親、そして男の子たち自身へのインタビューを含む広範なリサーチをもとに、マスキュリニティと男の子たちをとりまく問題を詳細に検討。 ジャーナリスト且つ等身大の母親が、現代のリアルな「男の子」に切り込む、明晰で爽快なノンフィクション。

日経新聞に載ったという書評が課題設定についていい切り口になっている。

フェミニズムはこうした「男性性」のもたらす負の側面を明らかにしてきたものの、その裏で見過ごされがちだったのが、男の子がもっか陥っている苦境への対応策だと著者は指摘する

日本経済新聞 (2019.4.27)

本の内容の簡単な紹介

作者はレイチェル・ギーザという方。この方は女性同士で同性結婚し、ネイティブアメリカンの男の子の養子を迎えたカナダ在住の女性である。 というわけで、日本のジェンダー・人種についての社会状況とはかなり異なる状況で書かれたものである。

作者は「ヘテロ白人男性中心」社会の価値観がアップデートされていくことを歓迎している。 その一方で、フェミニズムが「ヘテロ男性」に対してこれまでの「罪」を糾弾するのみで、その人たちの新しい生き方のモデルを提示してこなかったことを示す。

(この本はあくまでジェンダーが主題であるが、BLM運動などで「白人」性が糾弾されたりといったこともあるだろう)

どう生きるかのモデルを失い生きづらさを抱えた「ヘテロ男性」が、旧来の男性中心の価値観に固執するようになったり精神的に追い込まれている。 それは社会進出を進める女性へのインターネット上・リアルの暴力といった反動や、男性の自殺といった形で現れている。

これまで考えられてきた「男らしさ」が自然なものではなく、作り上げられてきたことをあぶり出す。 「男らしさ」が女性や多少な性をもつ人たちだけでなく、ヘテロ男性をも苦しめてきたのでは?と問題提起を行う。

※ちなみに、この観点からの「男らしさ」観念は「トキシック・マスキュリニティ」(Toxic Masculinity)』と呼ばれ、「有害な男らしさ」と訳されるそう。

そこで、男性中心の価値観を否定するだけでなく、「男の子」たちにこれからを生きるための指針を作ろうとする試みについて言及している。

日本の状況も考えると

日本でも、とかく「おじさん」は社会的な評価が低い。

business.nikkei.com

自殺の多くはおじさんによるものだが、、、

mainichi.jp

一方で実際問題、多くの組織の中ではおじさんが幅を利かせている。例えば、企業の役員となると9割が男性になる。

www.nippon.com

そういった立場にたどり着いたおじさんが、男性に生まれたことによって得ているアドバンテージを享受していることは事実だと思われる。 しかし、当人として自分でその状況を作ったわけでもない。自分の収入増などを犠牲にして「いやいや自分なんかより女性を高い地位につけましょうよ」というまでの責任はないと思う。 (後任者に女性を推薦しない、というのはあるかも。)

自分の努力で勝ち得たと思っている立場について、直接そうは言われないまでも「不正」に得た地位であると糾弾されれば、内面的にはやはり気持ち良くはないだろう。

また、男性中心の社会の中で、高い地位のほとんどを男性が独占しているのは事実。しかし、世の中の「高い地位」のポストよりも男性は圧倒的に多い。 男性だからと言って必ずしも生きやすいわけではなく、貧困や教育機会の欠如に苦しむ人もいる。

よく会社を退職した男性の居場所がないということが言われる。

financial-field.com

会社での成功こそが人生の目標というモデルの中で育てられてきた人が、急に梯子を外されて居場所を失うというのは当たり前の話。 男性の生き方に対してケアが必要というのは、日本でも変わらないだろう。

ゲイ・レズビアン・トランスジェンダーという不思議

この本を通して、現代の「男らしさ」「女らしさ」が人工的なことであることが示される。 ジェンダーというのは、発明された生き方のロールモデルでしかない。

と考えると、トランスジェンダーというのは、作り物の「<自分のセックス>らしさ」を否定して作り物の「<自分のセックスのついになるセックス>らしさ」を志向するということとなる。

よく考えるとレズビアンやゲイも、ジェンダーとしての「男」「女」の組み合わせがストレートと異なるだけで、社会的な発明品であるジェンダーを出発点にしている。

「男らしさ」「女らしさ」という概念が現代社会の根本に根付いていて、多様な性のあり方と言いつつ「ジェンダーそのもの」はなかなか逃げ難いものであることがわかる。 既存の性的規範と対立しているようで、既存の性的規範に強くバインドされているという状況なのだなぁと思った。

次はこれを読みます。

おまけ

スポーツによる男性性の賛美と、戦争の間の関係について描いた映画。

ロシアによる侵略の一つの原因としても、マスキュリニティという問題は存在していると思う。