東京は祭りの季節

東京は祭りの季節※になってきた。

恥ずかしながら、今のあたりに住み始めて10年近く経つけれどもお祭りにあまり行ってこなかった。

今年はいい機会なので、家から歩いていける範囲でいくつか行ってきた。

元三島神社

我が家のある住所はいちおう元三島神社の氏子ということになる。 神社自体は小さいのだか氏子の範囲は広く、駅で言えば2つ離れている我が家が所属する町会も参加している。

コロナ前からこのあたりには住んでいたのだが、各町会こんなに盛り上がる祭りだとは知らなかった。 各町内で山車を出したり神輿を担いだり。 お菓子の配布があるというのもあるけれども、子どもがたくさん参加しているのが印象的だった。

そとから観光に来るようなものではないが、今の時代こんなに町内のまつりで人が集まるのか!と関心するくらい。

が、、

小野照崎神社

こちらは氏子エリア的には隣の神社のお祭り。

元三島神社のお祭りですら、こんなに地元の神社で人があるまるんだー、結構大きいなぁと思っていたがこちらはさらに大規模。

まずまず交通量もある道路をまるまる2日通行止めにして露店が立ち並ぶ。

三社祭

言わずと知れた三社祭。 エリア的には小野照崎神社のさらに隣が氏子エリアであるが、小野照崎神社の祭りと同日開催。

2つの祭りが同時開催ということもあり、家から浅草神社まで歩く道中、どの通りにも神輿があると言っても盛り過ぎじゃない。

ガレージがある家はみなガレージの中に椅子とテーブルを出して酒盛り。

こちらは決まったエリアに限らず、神輿が通るところが通行止めになる。神様の乗り物は車より偉いようだ。

祭りを見て感じたこと

家事・子育て参加の重要度がいわゆる「仕事」(お金という形で対価が得られる仕事)に比べて低く見られているのは事実。 しかしそれに対して、「家事労働はもし仕事だとしたらいくらもらえているはず」という換算をするのは労働中心の価値観にとらわれているのではないかと思う。

本来的には、人生のうち金銭で換算可能な要素は一部であるからいわゆる「仕事」だけが偉いんじゃないんだぞ!という価値観が主流になるべきだろう。 例えばワンオペ育児について、「母親の育児負担はもしベビーシッターだったら○○円稼げてるはずなんですよ」というより、「子どもの小さい頃に一緒に過ごす時間は金では買えないし、仕事ばっかりしてる/させてる場合じゃないでしょ」というのが問題意識の中心になるべき、といった感じだろうか。

逆説的だがこれを理解していた方が金銭的にも豊かになれるのではないか?という気がしている。

一人当たりGDPを韓国に抜かれる抜かれたという話を見て、韓国っていわば学び・働き盛りの若者を軍隊というなにも生産的でないところに突っ込んでいるのに不思議だなぁと思っていた。

そこから改めて調べてみると一人当たりGDPで世界TOP10の国では半数が徴兵制をとっている。

徴兵制を取る国は北朝鮮やエリトリアのような失敗国家にも多いが、世界の最も富裕な国々にも多い。 世界の国のうち、今でも徴兵制を取るのは1/3より少ないことを考えると、徴兵制のある国は特に豊かな国か特に貧しい国に偏りがありそうに見える。

徴兵制がいい制度だというつもりは毛頭ないし、絶対にそんなものにはいきたくないのだが、

  • なぜ徴兵があっても豊かになれるのか?
  • むしろ徴兵のような金を稼ぐという観点では無駄にしか見えない慣習が実は豊かさを生み出している可能性があるのではないか?

というのは気になるところだ。

「エコノミック・アニマル」の末路

徴兵ほどではないが、今の日本、特に都市的な価値観では地域活動やPTA活動といったものが「こっちは仕事で忙しいのにそんなことやってられるか」と不要・むしろ邪魔なものと見られている。

とはいえ「しがらみ」なしに人は生きていけないし、そういった一見金を生み出さない活動があるから安心して金を稼ぐことができる、ということなんじゃないだろうか。

自分も経営者の端くれとして思うのだが、日本で育った人はあんまり麻薬もやらないし強盗もしない。トップ層のレベルは別にして、大衆レベルでの教育水準は高い。なので優れた人材の採用コストも育成コストも安いんじゃないかと思う。 この恩恵には地域の見回り活動だったりPTA活動だったり「しがらみ」的な活動が寄与してきた部分も大きいのかなぁと思う。

しかし人がみんな金を直接生み出す活動だけに夢中になっていたらどうだろうか。個人消費も伸びない・子供も生まれない・生まれても教育はなされない、、どんどん社会全体としては貧しくなっていく。

周りがしがらみ活動に従事している中、自分だけ金稼ぎに没頭していたら稼げるのも事実。 だからこそ囚人のジレンマ的な状況に置かれてみんな貧しくなろうとしているのが今の日本ではないだろうか。

だからこそ、祭り的な非生産的な「蕩尽」を味わう機会を与えることが重要になっている。

一見金を生み出さないが必要な「しがらみ」の中に楽しさを見出すというか。

祭りに期待すること

一方で祭り側にも色々と変わらないといけないことはある。

・男性中心で回っていて重要な役割が男性に集中しているところ。(いろんな町会の集会所をみるとわかる) ・反社勢力との付き合いが祭りならしょうがないかと黙認されているところ(西浅草北三丁目町会・・・) ・移民に対してオープンさが足りないところ。(我が家の周り、普段はたくさんいるのに祭りでは全然見かけない)

移民の人たちってどうしても移民コミュニティの中で生きていて、地域住民側と交流がないからこそなんとなく怖がられている感じがする。 移民の人たちも祭りの参加を通して相互の歩み寄りが進むんじゃないだろうか。

東京の祭りが春に行われる理由

※日本の祭りは「夏祭り」のイメージが強い。農作業が少し暇になる時期の「夏祭り」のイメージが強い。

一方で、三社祭や神田祭等、東京で有名な祭りは5月頃が多い。 人口密集地である都市では夏に疫病が流行ることが多いため、疫病が流行りやすい夏にはあんまり集まらないようにするという知恵なのではないだろうか。

素盞嗚神社では、夏前に夏の疫病を払うというまんまな理由が祭りの目的になっている。

susanoo.or.jp

天王祭は、人や物の行き来が盛んな街道の夏に流行する疫病を、激しい神輿振りにより、御祭神の神威をより一層振り起こして祓う悪疫退散・除災招福・郷土繁栄を願う祭禮です。春と秋に稲の収穫を祈念感謝する農村型の祭禮に対して、京都の祇園祭と同様、都市型の祭禮といえます。