子供の頃に遊んだフリーゲーム
歳を重ねるにつれて昔のことを思い出そうとすることが増えてきた。 テレビ番組やCM、児童文学などに、加えてやはりゲーム。
僕が小学校の後半を過ごした、阪神大震災の記憶がのこる兵庫県は西宮。 その小学校では、安いからという理由で全国的な人気の遊戯王カードではなく当時はマイナーだったポケモンカードが流行っていた。 (当時のカード、今でも持っていたら相当高値になってるんじゃ、、!?フリーマーケットでひと束10円なんかで売ってしまったのが悔やまれる。)
それと同じ理由なのか、ゲームといっても64やらプレステのゲームよりもパソコンのフリーゲームが流行っていた。
昔のパソコン雑誌の思い出
フリーゲームというのは、多くは個人制作で個人がホームページで配布しているようなものだ。 RPGツクールのようなゲーム作成ツールで作られていることも多い。
普通は作者のホームページや「Vector」からダウンロードするのだが、まだまだインターネット接続は電話回線。 数十MBのファイルですらダウンロードするのは一大事だった。
当時まだ小学生、当然電話代を自分で払っているわけがない。 夜間に繋げ放題になるテレホタイムなんてものがあったらしいがそんなものを知るのははるか後になってから。(そもそもその時間起きてないしね)
今となっては信じ難いが、当時パソコンはよほどのことがない限りインターネットにつないで使うものではなかった。
では、どうやってフリーソフトを入手していたのか。
そのころは「パソコン雑誌」というものがまだあった。 そして、そういう雑誌には毎号のように大量のフリーソフト(主にゲーム)を収録したCD-ROMがついてた。 このCD-ROMのおかげで、電話代をかけずにゲームを手に入れることができたのである。
ゲーム以外にもユーティリティ用のソフトや「素材」もついていたので年の瀬になると両親が年賀状作りのために買ってきて、そのおこぼれに預かっていたのである。
インターネットに残る痕跡
そんな牧歌的なことを思い出しながらVectorを巡回したりしてみると、一つだけ遊んだことのあるゲームを見つけた。
Vectorにはダウンロード用バイナリは残っているのだが、リンクされている作者ページはすでに存在しない。
YahooジオシティーズやInfoseekの閉鎖の時も思ったけれども、インターネットの情報は意外と消えやすい。
もともと核戦争が起きてもシステムとしては生き続けるものとして作られた仕組みだということを実感する。 サーバーたちはいなくなってもシステムとしてのインターネットは何事もなかったかのように生き続ける。
でも切れたリンクとしてまだ痕跡が残っている。 切れたリンクを持っているサイトがなくなったときに、本当にそのサイトはインターネットから消えるのかもしれない。
ちなみにCD-ROMがついていたパソコン雑誌も思い出せない。 パソコン主婦の友(PASOTOMO)というのは家にあった記憶があるが、ゲームがたくさんついていたのはこれじゃない。
昔のパソコン雑誌で調べてもわからなかった。
PC98だとかのさらに昔の雑誌か、Winnyだとかアングラ系の雑誌は思い出話が出てくるものの、うちにあったようなファミリー向け雑誌は忘れ去られてしまっているようだ。
人は生物的な死の後に、その人のことを知っている人がこの世からいなくなった時に2回目の死を迎える、、とかお葬式の時の説話でよくいうけれども、似たものを感じる。