反知性主義と「常識の政治」の境界線

近年のアメリカ政治において、トランプ前大統領の人気は依然として根強い。彼を支持する層の心理を単なる「反知性主義」として片付けるのは容易だが、果たしてそれだけで説明できるのだろうか。

アメリカを取り巻く状況

まず、アメリカ国内の問題として挙げられるのが、オピオイド危機だ。フェンタニルの流行は深刻化し、アメリカ各地に「ゾンビタウン」ができている。


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そして、トランプがAnimalと呼んでいるMS-13のようなギャングによる犯罪。

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リベラル派の常識

薬物問題やギャング犯罪には、教育や社会福祉の充実によるリベラルなアプローチの方が費用対効果が高いとされる。 しかし、実際のところ、このようなリベラルなアプローチは「納得」できるものだろうか。

例えば以下のような解決策のことである。

薬物汚染:ハームリダクション

“ハームリダクション”とは、合法・違法に関わらず精神作用性のあるドラッグについて、必ずしもその使用量は減ることがなくとも、その使用により生じる健康・社会・経済上の悪影響を減少させることを主たる目的とする政策・プログラムとその実践である。ハームリダクションは、ドラッグを使用する人、その家族、そしてそのコミュニティに対して有益なものとなる。

というのが定義である。

具体的には薬物中毒者に対して、清潔な注射器を配ったり、ヘロインの代わりにメサドン(ヘロインよりは安全な薬物)を配ったりすることで、HIVやC型肝炎のような感染症の拡大を防いだり薬物使用による死亡を防ぐことができる。

ギャング対策:Cure Violence

これはあまり日本語の説明も見つからないのでちょっと間違っているかもしれないが、コミュニティベースでのアプローチであるそうだ。

Cure Violence (formerly CeaseFire) is another effective broad community approach to preventing and reducing gang violence. Undergirded by the public health model, the program approaches violence as an infectious disease. The program tries to interrupt the next event, the next transmission, the next violent activity” (Kotlowitz, 2008).

元ギャングのような、ギャングでも話をしやすい存在や警察ではない住民などが、エスカレートする前に対話を促したり一回頭を冷やそうと働きかけるアプローチのようである。

リベラルな?アプローチの納得感

これらのアプローチには自分も思うことがある。 薬物中毒者やギャングも包含した福祉の実現に、なぜ薬物にも手を出さずギャングとして犯罪にも加担していない「善良な」人々の収めた税金を使っていいのか。そもそも、そういった存在に「善良な」人々と同じような尊厳を認めるべきなのか。

こういった線引きがされること自体を許してしまうと知的障害者や同性愛者といった"生きるに値しない命" (ナチス・ドイツの絶滅政策はユダヤ人以外も対象としていた)といった考えのもとになると頭ではわかっているものの、心で納得するのは正直難しい。

効果を上げる強権的アプローチ

強権的な取り締まりを徹底した国の例として挙げられるエルサルバドル。

同国ではMS-13などのストリートギャングをテロリストとみなし、タトゥーがあるだけで「テロリスト監禁センター」通称CECOTに収容できるという超法規的措置を取った。 その結果、かつて世界で最も人口当たりの殺人が多かった国が、短期間で劇的に治安を回復させることに成功している。

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ブケレ大統領の人気をカフェラテを飲みながら「ポピュリズム」の一言で片付けるのは簡単だけれども、1000人に1人が殺人事件で死ぬ(しかも1年で)社会に生きている人々がこの政策を支持するのってまぁ当たり前なんじゃないかという感覚もある。

麻薬使用は取り締まるべきだし、犯罪を犯す不法移民は追い返すべき。これが常識として受け入れられる もちろん元はと言えばアメリカ人が麻薬を使うし移民を労働力として使ってきたのが悪いわけだが、多くのアメリカの庶民には関係のない話だ。

実はこれまで「強権的」とされてきたアプローチ(例えばメキシコのカルデロン政権化での麻薬戦争など)が単に徹底が足りなかっただけで、やるところまでやってなかっただけなのかもしれないと思う。 (ハームリダクションや薬物の少量利用の非犯罪化といったアプローチは、オランダやカナダ国内にはいい効果をもたらしていたかもしれないが、それでメキシコの麻薬カルテルは儲かりメキシコの治安は悪化しているかもしれない)

ギャング構成員(MS-13のようなギャングは、加入の条件が殺人経験があることである)にとっては生かしているだけでも人権を守っているのだ、と生涯CECOTから出られず外部との接触も一切許さないという環境に置くことは、心では強い納得感がある。 トランプのいう「常識の政治」とはこういうことだろうか。

しかしこれはギャングは生きるに値しない命だと、認めていることにもなる。

民主主義と理性の間で

民主主義は「生きるに値しない命」のような考え方を排除できない。 主にヨーロッパでは民主主義よりも先に守るべき価値観がある、として民主主義の場から排除しようとしているわけだが、今のアメリカのように民主主義の方を先におけば、民衆がそれを望むのならその道に進むべきだという結論もあるのかもしれない。

果たして日本はどちらに向かうのだろうか。