ここしばらくブログの更新が滞っていたけれど、その理由は引っ越しでした。
このブログタイトルは、好きな映画「未来世紀ブラジル」と住んでいる東京都荒川区を組み合わせただけのタイトルなのだが、、荒川区民では無くなってしまった!
これまでの引越し人生
自分はけっこう引っ越しの多い人生を送っていて、ざっくり計算すると4年に一度は引っ越していることになる。
小学校に上がるときにも引っ越し、小学校も途中で変わり、中学に上がるタイミングでも引っ越し、さらには中学の途中でもう一度引っ越した。落ち着きのない人生だったとも言えるし、いろんな土地に触れたという意味では貴重な経験だったとも言える。
思春期の引越しの影響
学校に通い始めたのは千葉の津田沼のあたりの小学校。 ここでは多くが、当然のようにそのまま地元の公立中学に進学するような雰囲気だった。 自分の成績はというと、特別に優秀というわけでもなかった。 もしここで育っていたら、たぶんその後の人生はもっと凡庸なものになっていたかもしれない。
最初の転機、10歳で引っ越したのは阪神間と呼ばれるエリア、甲子園のある西宮。 ここはまったく文化が違い「あいつは灘中にチャレンジするらしい」「俺は甲陽を受ける」みたいな会話が子どもたちの間で当たり前に飛び交っていて、初めて「中学受験」という世界があることを知る。 うちの両親としては、いずれ関東に戻る予定だったので実際に受験はしなかったのだがお受験組の真似をして模擬試験なんかを受けてみたところ、なんだかイキッているお受験組よりも良い成績を取る。
次に住んだのは京都。 ここではちょっと変わった塾長のいる塾に通うことになって、「お前は東大に行け」と言われ、なんとなくその気になってきたりもする。 しかも家族の都合もなんだかしばらく関西にいることになりそうで、高校は京都で行くつもりになる。
しかし高校は京都で行くぞ!と決めた途端に話が変わり、ルーツでもある東京、に戻ってくることに。 高校選びもゼロからにもどってしまい、どこも受験時に初めて訪れるようなことに。 世間的に もし、この高校の名物行事が運動会、“棒倒し”だと知っていたら…多分選んでいなかったと思う。
引越しのたびに違う道が見える
思い返してみると、それぞれの土地で新しい道に出会ってきたな、と思う。 もちろん選ばなかった道も含めて。
場所によっては「ここは合わないな」とか、「人がちょっと苦手だな」と感じることもあったけれど、でもそういう人間関係って、短い時間で終わるものだ。 もちろん良い友達と良い関係を築ければそれは得したことになるし、逆に小中学の人間関係なんてなくなったとしてもその後の人生にはなんの問題もない。
引越し人生に終止符?
しかし今回の引越しはもしかしたら人生最後になるかもしれない。 昔風の言い方をすれば、一国一城のあるじ、、ようするに家をたてたから。 しかも、小学生の頃住んでいた津田沼の近くにシャケのように戻ってきた。
自分の子どもはおそらく、ずっと同じ土地で育つことになるだろう。それが「家を買う」ということのマイナス面でもあるなと感じている。
もしその土地で馴染めないということになったときに、他の土地なら合うかもしれない、みたいなことは言うことはできても実感させるのは難しそうだなと、思う。
孟母は三遷するという諺もあるけど、ローンとか考えると無理だよなーと。
世界の広さを知ってもらうには、たとえば中学生くらいになったら、夏休みにマルタのサマースクールに行かせてみるとかなんだろうか。