誰も傷つけない抵抗「だまってトイレを詰まらせろ」
前回の記事で紹介した、山谷の「金町戦」。
あの戦いの渦中にいた活動家、船本洲治が提唱したのが「だまってトイレを詰まらせろ」という、奇妙な戦術だ。しかし、ここにこそ彼の思想が凝縮されている。
日雇い労働者が働く現場には、トイレットペーパーがないことが多かった。 日雇い労働者の立場として、どうやってトイレットペーパーを置かせる?
- 泣き寝入りをする
- 正々堂々と交渉する
彼は第3の選択肢として
用を足したあと、新聞紙で拭いてトイレに流し、便器を詰まらせるというのを示した。
「このままトイレが何度もつまり続けるのなら、トイレットペーパーを置いた方が合理的だ」という結論に自らたどり着く。これは、既存のルールが守ってくれない権利を、自らの行動で勝ち取るための、静かなるゲリラ戦術だったわけだ。
ただ、この提唱者の船本氏はさいごはある活動の中で抗議の焼身自殺を遂げる。 何らかの行き詰まりを感じたんだろうか。
後述する朝日新聞のコラムで書かれているように、↓の本でこの言葉が紹介されているらしい。
暴力に代わる「だまトイ」のしたたかさ
左翼の闘争といえばロシア革命もだしナントカ赤軍のテロ行為とか、暴力的なほうに行きがち。
それに対すると、誰も傷つかないし、誰がやったのかもわからない。平和的だ。
そしてここがポイントだと思うのが、トイレに紙をおいたほうがいい、と経営者自身の判断になる点だ。
相手の権利を認めたほうが自分たちにもイイことがある、と納得の、うえで相手の行動を引き出させるという良さがある。
朝日新聞コラム炎上事件の2つの「見当違い」
だがこの言葉は、2016年に朝日新聞のコラムで引用されたことで、思わぬ形で炎上した。
コラムは、当時の政治家(晋さん)を批判する文脈でこの言葉を引用した。
このコラムでは、トイレットペーパー以外でも、「何で拭こうが自由だ」、「この道しかない」なんてことはないという「個人の自由」の象徴のように紹介されている。 結果、「器物損壊を推奨している」と激しい批判が巻き起こり、新聞社は謝罪に追い込まれた。
この一件はきっかけもそれに対する批判も見当違いで、この騒動のせいでだまトイという考え方が葬られるのならもったいない。
まず、コラムの筆者による見当違い。船本氏の言葉は、特定の社会的弱者が直面する切実な問題から生まれた抵抗戦術だ。
トイレットペーパーが与えられてるのに、新聞紙で拭く自由もある!なんてことを言いたいわけではまったくない。 むしろトイレットペーパーを求める闘争だ。
グレーというか黒だけどいちおうここでよめます↓
そしてそれに対する「器物損壊は犯罪だ!」という批判もまた見当違い。 これは既存のルールの下では不当な扱いを受けている弱者の、自らの権利を勝ち取る闘争手法に関する話だ。
暴力に訴えかけるようなテロリズムに対する、オルタナティブとしてのだまトイなわけだ。
現代の権利闘争における「トイレ」とは?
トランプ当選後の「反Woke」運動など、特にいまは反動的な動きが目立つ。
たとえばLGBTの権利に関して、他人がゲイであることをなぜか許せない人は多い。(世の中には他人がゲイだろうがストレートだろうが関係ないじゃん、と思うのだが、、)
ただそれに対して、正義の名のもとに、さんざん遅れてる、野蛮、みたいなレッテルをはってきた戦い方は良くなかったんだろうなと感じる。
何がトイレで何が新聞紙かはわからないが、ホモは排除したかったけど、そんなことしないほうが自分にもいいことがあるんだな、と思わせしめるようなしたたかさが、反動に対するカウンターに求められるのではないかと思う。

