
きっかけは先輩後輩の会話
ある理由で昔の職場を訪問するついでに、当時よく行っていた蕎麦屋にいくことができた。
久しぶりに美味しい蕎麦を食べられたわーと満足だったのだが、会社の先輩と後輩であろう2人の会話が耳に入った。 先輩はおそらく私と同じくらいの「ミレニアル世代」で、後輩はもしかしたら新卒1年目とかの「Z世代」だと思う。
どうやら先輩が、今の学生生活について色々聞いていたようで、ちょうど聞き耳を立て始めた時はコミュニケーションについてが話題になっていた。 後輩は「まずはインスタを交換してストーリーズとかで人となりを知って、仲良くなれそうならDM送ってみます。で、実際もう一回会って良かったらLINE交換しますね〜」という。
「ストーリーズ文化」の息苦しさ
このやり方はLINEがWhatsappに置き換わればそのままマルタ留学の時を思い出した。
というのはおいておいて、このInstagramのストーリーズ文化はとても窮屈に思う。
自分が高校生のころは、SNSなんてなくて人とのコミュニケーションはリアル会話と携帯メールくらいしか存在しなかった。
大学に入ってLINEが登場し、とりあえずLINE交換、というのが当たり前になる。さっきの蕎麦屋の先輩も同じような感覚なのだろう。
LINEはフリクションが少ない。ただ仕組み自体は選んだ相手にだけメッセージを送るという点でメールの延長である。 みんなに一斉送信することはほとんどないから、相手ごとに違う顔を見せる余地が残っていたように思う。
けれどもInstagramのストーリーは誰に対しても同じ「自分」を見せることになる。 これは裏を返せば、相手によって意見や態度を変える自由を失わせる仕組みだ。
相手によって見せる自分を変えられず、常に『一貫した自分像』を保たなければならない圧力が生まれる。
1サービスの機能改修が社会を変える?
ちょっと飛躍かもしれないが、こんなことを考えた。 SNSが多くの人の使うところとなっている現在、SNSの機能追加/変更が社会に影響を与えるまでになっているのではないか。
先進国で見られる政治思想の二極化やライフスタイルの断絶は、ただの偶然ではなく、「一貫性を保て」という圧力の副産物かもしれない。
Instagramのストーリーズが、社会の分断を招いているのではないかという仮説を考えてみた。
パッケージ化される思想
やっぱり心配なのが、先進国で進む右傾化というか反知性主義。日本にもその流れは確実に来ている。

MAGAや参政党支持者を見ると移民、ワクチン、農法などなど、色々と独立したトピックなのに同じ意見を持っていることが多い。
本来なら、人はトピックごとに異なる意見を持っていいはずだ。 ところがSNSでは、一度立場を表明すると「他の話題でも同じ姿勢を取るべきだ」という期待が生まれる。さらに仲間内の承認やフォロワーの目線が、その圧力を強めてしまう。
その結果、移民やワクチン、農業のように直接は結びつかないテーマまで、ひとつのパッケージにまとめられてしまう。まるで“セット商品”のように、意見が抱き合わせで選ばされていくのだ。
これはストーリーズ文化の延長線上にあるのかもしれない。関係ごとに見せ方を変える自由を失い、常に「一貫した自分像」を保つ圧力が働き、本来独立して意見を持っていいはずの個別のトピックなのだが、みんな右にならえを生み出していると考えられる。
矛盾を注入するというアイデア
こういう議論からは「今のSNSの設計が悪いのだから、新しい思想のSNSを作ろう」という流れになりがちだ。 でも、たとえ「矛盾を許す文化」を設計思想にしたSNSを作ったとしても、そんなものがXやInstagramを置き換えるわけがない。 Blueskyなりマストドンなり、理屈ったらしいSNSは、好きな人には注目されても結局マス層が利用することはない。
水は低きに流れる。短くて手軽に消費できるコンテンツは、ついダラダラと見続けてしまう。だからこそ、TikTokやYouTube Shortsのような「人類を愚かにする」仕組みのほうが、ユーザーは定着してしまう。
既存のSNSに人が集っていて影響を受けているというを前提にする必要があるのではないだろうか。
実効性のあるアイディアとしては、既存のSNSの中にBotを紛れ込ませていくことはできるのではないかと思う。 MAGAっぽいが裁判所の判断に反して強制送還には反対だーとか参政党支持だけど農薬は必要ーみたいな、モデルに近いけれども一部違う、そんなユーザーのバリエーションを作って紛れ込ませていくのがいいんじゃないかと思う。


