
- シュヴァンクマイエル『ファウスト』を観た
- ゲーテの『ファウスト』ではないファウスト
- シュヴァンクマイエルのファウスト
- 人は役を演じて生きているのかもしれない
- 3つの「ファウスト」の主題
- 余談:魔法陣は悪魔を呼ぶためのものではないらしい
シュヴァンクマイエル『ファウスト』を観た
ご存知ヤン・シュヴァンクマイエルの『ファウスト』を観た。
(そういえば去年、こんなのやっていた。てっきりこの写真のような展示があるのかと思ったら、6畳くらいの部屋にいくつか展示があるだけで「騙された」というのが正直な感想。。)
一人のおじさんが、街で配られていた謎の地図に記されていた場所を訪ねる。するとなぜか「ファウスト博士」の劇に人形として出演させられることになる、という映画である。
チェコでは人形劇が伝統芸能として根づいており、ファウスト博士伝説もその定番の題材の一つらしい。 それは有名なゲーテの『ファウスト』ではなく、その元になった民話「ファウスト博士伝説」である。
というわけでちょっとだけゲーテのファウストではないファウストを紹介。
ゲーテの『ファウスト』ではないファウスト
民話版ファウストの結末
ゲーテ版と民話版では、結末の意味がかなり違う。
ゲーテの『ファウスト』では最終的にファウスト博士は救済される。 しかし民話版では、基本的にはそのまま破滅する。
悪魔に魂を奪われ、肉体まで引き裂かれて終わる、という話になっているらしい。
この映画でファウストが最後にバラバラになるのも、そうした民話版の系譜を踏まえているのだろう。
道化師だけが助かる
ファウスト博士伝説にはさまざまな亜種があり、この映画のように道化師が登場する型もあるらしい。
道化師もまたファウストと同じように悪魔を召喚しようとするのだが、途中で怖くなって逃げ出す。 そして、そのおかげで助かる。
知恵を求めるファウスト博士は破滅し、途中で諦める道化師は助かる。
知を求める者が傲慢とされるこの構図を見ると、キリスト教にはどこか反知性主義的な感覚が埋め込まれているのではないか、という気もしてくる。
シュヴァンクマイエルのファウスト
人形劇と現実の境界
主人公のおじさんは、理由もよくわからないままファウストの劇に巻き込まれ、ファウスト博士を演じることになる。
最初は、現実世界のおじさんが劇の中に入り込むだけだったはずなのに、いつの間にか劇の中の存在だったはずの人形たちが現実世界にも現れ始める。 そうして、人間と人形、人形劇と現実との境目が少しずつ崩れていく。
逃げられない「ファウスト役」
最後、おじさんはファウスト役を降りようとする。 しかし、もう遅い。
彼は車に轢かれてバラバラになってしまう。 そして同じ犠牲者がこれまでも繰り返し生まれてきたことが示唆される。
自由意志と不条理
民話版のファウストでもゲーテ版のファウストでも、結末は違えど、ファウストは基本的に自分の意志で悪魔と契約する。 ところが、この映画のおじさんは悪魔と契約しようという意図は感じられない。
そこに何があるかわからないが、謎の地図に記された場所に行ってしまう。
レストランでなぜかドリルを渡され、促されるままにテーブルに穴を開けてしまう。
などなど。
おじさんはそれらの行為が何をもたらすのか理解していないが、謎の男二人に促されるままに悪魔と契約するための手順を踏んでしまい、最後には破滅に追い込まれてしまう。。
同じチェコということで、カフカの小説のような印象がある。
人は役を演じて生きているのかもしれない
現実の人生も、大きな決断によってではなく、ほんの小さなきっかけから何かの役を引き受けてしまい、そのまま流れで演じ続けることになる。
最初は興味本位で舞台を覗き込んだだけのつもりでも、気がつけば舞台の上に立たされていて、しかも自分では降りられなくなっている。
3つの「ファウスト」の主題
これは僕なりの理解だが、民話版のファウストの主題は
現状に飽き足らず知恵を求めることは、神に挑む傲慢である
という宗教的な戒めの物語。
それに対してゲーテのファウストは
現状に満足せず知恵を求め社会を改善しようと努力することを、人間に与えられた使命として肯定する
ことで、啓蒙思想とキリスト教を融合させた物語だ。
こうした「現状に飽き足らず知を求めること」の是非そのものを超えて、シュヴァンクマイエルのファウストは
そもそも「現状に飽き足らない」という自由意志自体が存在しないのではないか
という、まったく別角度からの問いを提示しているように思える。
余談:魔法陣は悪魔を呼ぶためのものではないらしい
この映画では、悪魔を召喚するとき、召喚者は魔法陣の中に入っている。
実は、悪魔召喚における魔法陣は、悪魔を呼び出すための装置ではなく現れた悪魔から自分を守るための結界として使われるものなのだそうだ。
劇中でも、悪魔を召喚した道化師は魔法陣の外に出ようとしないし、悪魔の側も「そこから出てきたら灰にしてやる」と脅す。 つまり、あの円の内側にいること自体が防御になっているわけだ。
そう考えると、日本の漫画やアニメでよく見る「術者は魔法陣の外に立ち、陣の中心から何かを呼び出す」という絵は、だいぶ危ない。 あの構図だと、呼び出した相手に真っ先にやられてしまうはずである。

