
サッカーのふしぎ記事第3弾。
第1弾・第2弾はこちら
WBC2006年、第1回WBC。当時、日本中が出場を期待していたが、結局一度もWBCへ出場することはなかった。 野球では、スター選手が代表に出場しないことは珍しくない。
マイク・トラウトも、2026年大会には出場していない。
保険が適用外になるとか、所属チームが認めないとか、本人が希望していても出られないケースも多い。
一方で、今回のワールドカップにはメッシ、CR7、モドリッチ、エムバペ、ハーランド、ヴィニシウス、ヤマル...と世界トップ選手たちが出ている。
サッカーのほうが野球よりも怪我リスクは高いだろうし、前回記事での調査から考えればMLBが支配する野球のほうが集めやすそうなものなのに。
これは一体どうしてなのだろうか?
現制度おさらい:クラブにも選手にも代表活動に対する義務がある
現在のFIFAの制度では、
- クラブには、国際マッチカレンダーに従って選手を代表へ送り出す義務がある。
- 選手にも、正当な代表招集には応じる義務がある。
- 協会にも、通知期限や復帰期限など様々なルールが課されている。
つまり代表招集は、「お願い」ではなく制度である。 しかし考えてみると、これはかなり不思議だ。
クラブから見れば、選手は何十億円もの年俸を払っている大切な資産である。 代表で怪我をされても困るし、自分たちのシーズンにも影響する。
どうやって世界中のクラブは、こんな制度を受け入れてきたのだろうか。
サッカー発展の歴史
〜1903「カップ戦」の時代
イングランドは1888年にフットボールリーグが始まるので例外的だが、主要国でもリーグができたのはカップ戦に比べるとだいぶ後である。
1871年のイングランド FAカップを皮切りに、1898 オランダ、1903 スペインと国内カップ戦が始まっている。
そして、1904年FIFAが設立される。
1900頃〜1950頃:国内リーグとワールドカップが誕生し始める
1929年に、スペイン、イタリアが、1932年にフランスが国内リーグをスタートさせる。これと並行するような形で、ついに1930年にワールドカップが始まる。
この頃は現在のような欧州クラブ大会は存在しない。
つまり世界最高峰のサッカーイベントとは、代表戦でありワールドカップだった。
まだクラブとFIFAが衝突する土壌そのものが存在していなかったのである。
1950頃〜1992:クラブも世界を持ち始める
1949年にラテン・カップという4か国のクラブチャンピオンによるカップ戦が行われたのが、主要国の参加する「クラブ」の国際大会のはしりだそう。
その後1954年にUEFAが設立され、翌1955年からヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップという今のチャンピオンズリーグの前身が始まる。
代表ではなく、クラブが国境を超えた対戦をする制度が出来上がってきたのがこの頃のようだ。
1992〜2004:サッカークラブの巨大化
1992年にプレミアリーグが始まり、ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップはついにUEFAチャンピオンズリーグへと生まれ変わる。
テレビ放映権とスポンサー収入によって、欧州クラブが急速に巨大企業へ変わっていくきっかけのひとつであったのは間違いないだろう。
ちょうどこの頃、1995年のボスマン判決というものがあった。選手の移籍に関する制度が変わる。中堅クラブが選手を育てて移籍金を得るビジネスがやりづらくなる代わりに、金満クラブは金にものを言わせて有力選手を集めやすくなった。 チャンピオンズリーグの開始とボスマン判決の組み合わせがビッグクラブ・メガクラブを生み出していったと言えるのではないだろうか。
そしてFIFAはRSTP(Regulations on the Status and Transfer of Players)を整備し、移籍や契約、代表招集などを一つの法体系として整理していく。
しかし、この頃からクラブとFIFAの利害は真正面から衝突し始める。
2004〜:クラブと代表の対立
2004年、ベルギーリーグのシャルルロワというチームに所属するモロッコ代表選手が、代表戦で怪我をしたことをきっかけに、クラブはFIFAに訴えを起こす。シャルルロワ側は、この負傷によってチーム成績にも大きな影響が出たとして、FIFAに補償を求めた。
これに対してG14と呼ばれるビッグクラブの集まりもシャルルロワ側に加わり、クラブとFIFAとの対立は決定的になる。
これに対して、FIFAは、代表活動による怪我に対する補償制度を設けるなどして応え、クラブ側の要求も受け入れながらも「代表」に選手が呼ばれたら原則として応じる制度を守っている。
FIFAの立ち回りについての仮説
この歴史を見て、思ったのだが、2001年以降のRSTP。 これは移籍制度に関するルールに加えて、選手は代表に招集されたら基本的には応じる義務があるということも書かれている。
クラブと選手が結託すれば、クラブ側だけに所属選手を代表に出す義務があっても選手側に”自主的に”辞退してもらえば良いわけだ。 その見返りとして年俸を上げる、とか裏の約束はいくらでもできてしまう
それを防ぐために、選手側にもくさびを打っているということだと思うが、これが移籍に関するルールと同時に整備されているというところが気になった。
移籍制度に関しては選手とクラブは対立する関係にある。 クラブとしては、選手を支配し、売るときに高額の移籍金を得たい。選手としては、自分の所属していたクラブに移籍金が払われないと移籍できないと、自由な移籍の障害になる。
FIFAはこの移籍制度を巡る対立関係を利用し、移籍の自由度を高める代わりに代表への招集に応じる義務を選手側に認めさせたということはないだろうか?
FIFAとUEFAも一枚岩ではない
さらにもうひとつ考えると、これは単なるクラブ対FIFAの話でもなかったのではないか。
特にチャンピオンズリーグはUEFAの大会である。
つまり欧州クラブが巨大化するということは、クラブがFIFAに対して強くなるだけではない。UEFAが、FIFAとは別の形で、世界最高峰のサッカー大会を持ち始めるということでもある。 サッカー界全体を統治するFIFAと、欧州サッカーを統治しながら最強クラブ大会を持つUEFAは、もちろん協力関係にある。しかし、完全に一枚岩というわけでもない。
FIFAから見れば、チャンピオンズリーグの巨大化は、クラブの巨大化であると同時に、UEFAの大会権威の巨大化でもあったはずだ。 このままクラブサッカーが代表サッカーを上回る存在になれば、ワールドカップの特別さは相対的に弱くなる。
そう考えると、FIFAが代表招集の制度を守ることは、単に各国代表を守るという話ではなかったのかもしれない。
ワールドカップを、サッカー界で唯一「世界最高の選手が集まる大会」として維持するための、先手を打った作戦であったのではないか、というのがもう一つの勘ぐりである。
まとめ
結局、松井秀喜がWBCに出なかったことと、メッシがワールドカップに出ることは、単なる本人の愛国心や大会への思い入れの違いではなく背後にある制度の違いであった。
サッカーでは、ワールドカップが先に世界最高峰の舞台として成立した。 その後、チャンピオンズリーグやプレミアリーグの発展によって、クラブが巨大化していった。
普通に考えれば、クラブが強くなればなるほど、代表戦は邪魔なものになっていく。 クラブは選手に高額な給料を払っているし、代表戦で怪我をされても困る。
それでもFIFAは、クラブ側の不満を補償制度などで受け止めながら、 サッカーはクラブ、選手、協会を横断して「代表に呼ばれたら原則として応じる」という制度を組み込み、代表招集の原則そのものは手放さなかった。
いろいろと陰謀論めいたことを勘繰ってしまうところもあるが、その結果今でもワールドカップがサッカー界最大のイベントの立場をキープしている。