はじめに
ヤクザと憲法という映画がある。 東海テレビ制作のドキュメンタリーで、ちょっと前に話題になったらしい。
暴力団に密着したドキュメンタリーはNHKの「山口組 知られざる組織の内幕」などあるけれども、新しいものだと↑がおもしろい。最近興味からはずれていた暴力団の話題が再燃した。
僕は民俗的な観点で暴力団に興味を持っている――イタリアのマフィアも「ファミリー」なんていって疑似家族的な構成をとるけれども、そういった構造が場所を超えて現れている点など――だけで、ヤクザになりたいとか憧れているとかではないということだけは最初に断っておきたい。
暴力団とはどんな存在か
世の中の人たちが思った以上に暴力団についてしらないようなので、ちょっとだけ事前に解説。といっても僕も聞きかじりの知識を書いているだけなのでこれが100%正しいとは思わないで欲しい。
ちゃんと知りたい人はこの辺を読んでみるといいんじゃないでしょうか。
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暴力団を辞書で引くと、
暴力や脅迫などによって、私的な目的を達成しようとする反社会的な行動集団。
とある。
暴力団とは、暴力を目的・生業にしているわけではない。暴力を生業にしているといえば格闘家とかになるだろうか、、。
ではなにをやっているかというと、商売をして稼いでいるのだ。いわゆる「シノギ」というやつ。これは合法・非合法とわずである。
合法なほうだと飲食店におしぼりや観葉植物などを卸す仕事が有名だ。(もちろん、プロセスすべてが合法とは限らないけど。) 非合法なほうだと、覚醒剤の売買だろう。
一般企業でもできそうなおしぼりを卸したりとか、なぜそれを暴力団をやるのだろうか。それについて考察してみよう。
主権という概念とミクロな権力の場
ここで少し寄り道をして、昔公民で習ったかもしれない主権という概念を振り返ってみよう。
ふたたび辞書をひいてみる。
1 国民および領土を統治する国家の権力。統治権。 2 国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。 3 国家の政治を最終的に決定する権利。「国民主権」
なんだかまったくわからない。
主権というのはまぁよくわからない言葉だけれども、僕は主権とは暴力を行使可能で、しかもその行使を「合法的」だと認めさせることができる権力だと考える。
マックス・ウェーバーが『職業としての政治』のなかで述べた「暴力の独占」である。
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具体的に言うと、原則日本の領土内では日本政府とそのコントロール下にある警察権力や自衛隊(は微妙だけど)…といった暴力装置以外が暴力を用いること、暴力を用いて意志を貫徹することは原則的に禁止されている。
しかし、ミクロな場にまでもそれが徹底的に強制されているわけではない。現実には国家権力の見えないところで暴力による意志の行使が行われているのは間違いない。 最近いじめで子供が自殺したニュースが良く出てくるけれども、ああいうのも一種である。
とはいえ、通常それは個別の場で発生する泡のようなものであり、永続的なものではない。なので直接的な行使をうけた者以外には見えないものになっている。
暴力団は有機体組織
暴力団はそれを組織的に行うことによって、主権から合法的に導出できない権威を有するようになっている主体だと言えるだろう。 つまり暴力団は国家よりも小さな権力の場で、法を措定する力・法を執行する力・法のもとで活動を行う力を合わせ持った有機体である。
ベンヤミンは近代警察の権力が法措定的暴力と法維持的暴力を併せ持っていることを指摘し、「考えられる限りもっともはなはだしい権力〔暴力〕の堕落」という言葉を使っているが、暴力団はさらに利益団体としての側面(そして、その利益団体にとって好ましい法制度を要求する)までも併せ持っている存在といえるだろう。
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自分たちに都合の良いルールを打ち立て、そのルールを他者に強要でき、さらにそのルールの上で自分たちで商売する。それは儲かるに決まっている。
「ここらへんで飲食店をやるなら、うちから卸してるおしぼりを使うのがルールだよ。それを破ったらどうなったら想像つくかな、、。」
特に落ちがあるわけではないんだけれども、我々の生きる社会が重層的な権力の場であることを思い出させてくれますね。