「異教の隣人」を読んで、異文化への寛容や基本的人権の尊重と、宗教行為を野放しにすることの違いについて考えた

住んでいる自治体…ブログのタイトルにもなっている通り東京都荒川区なのだが…の中央図書館は、3年ほど前にリニューアルされて「ゆいの森あらかわ」という複合?施設になっている。

ゆいの森荒川の宣伝

複合施設とはいえ、基本的には図書館で、イベントホールとカフェ(カフェドクリエ)が併設されているといった程度。 なので、実質一棟まるまる図書館ということになり、図書館としてはかなり立派。

そういえば荒川区ゆかりの作家の人の記念館が中にあるけど、、寡聞にしてわからない。 開成出身であるということだけはわかった。

荒川区として、図書館の整備にはかなり力をいれているらしく、中央以外の図書館も順番にリニューアルを行っている。(日暮里図書館もリニューアル工事でいっとき閉館していたのだが、、こちらは何が変わったのかわからない。)

台東区の中央図書館は広そうに見えて、スポーツセンターや公民館を全部押し込めているので図書館としては荒川区のほうが優秀に見える。(台東区の中央図書館は38万冊、荒川区の中央図書館は60万冊というデータをみた) ちなみに荒川区はスポーツセンターもつい先日リニューアルされ、こちらも超キレイになっている。

図書館の民

リモートワークの間、通勤しなくていい時間を読書タイムにあてていたため読む量が多くなっていた。 全部買っていたらお金がかかってしまうので、買うより借りようと思って図書館に通い始めてから、電子書籍リーダーをほぼ使わずまた紙の本の民になった。

事前に目的の本を1,2冊決めていって、だいたいもう1冊その場で面白そうなのを借りるというマイルールでやっている。 今回、その場で選んで呼んだものがこれ、「異教の隣人」。

「異教の隣人」の紹介

関西地方で、いろんな宗教団体に取材をした新聞の連載記事であったようだ。

日本にもコプト正教会の教会がある、とか南米ではペンテコステ派の流れをくむ非カトリック教会の勢いが強いといったトリビア的な知識はふーんというものがあった。 そもそもペンテコステ派ってなんだろうという程度だったのが、体験を重視する宗派だということも知った。 一時期オウム真理教元信者のブログを愛読していたのでわかるが、神秘体験というのは理屈を超えて強く意思に左右するようだ。

激しい格差の拡大や、閉塞感から「体験」に救いを求めているのだろうか、もしそうだとしたら危ないなぁと思う。

この本のスタンスについて

もともと、この本は宗教を表向きのテーマにしつつ、基本的にここで紹介されるものが日本にはあまり馴染みのない宗教を選んでいるという特性上、移民コミュニティと表裏一体となっている。 というのもあるのか、基本的にはすべての宗教について好意的な記述となる。 まぁ、異なるルーツを持つ方たちの文化を尊重し、受け入れていこうというのはいい。

しかし思うに、平常時取材を受け入れる心の余裕がある状況でそんな悪いものが見えるものでもないと思う。 飢饉が起きた、戦争が起きた、恐慌が起きた、そういった異常時に宗教がどんな役割を果たすのか抜きに考察しても宗教とどう付き合っていくかを十分に考えたことにはならないように思う。

日本に住むムスリムはいい人ばかりなんです、テロリストの人たちとは違うんです、といいつつも、アフガニスタンに住んでいたムスリムの人たちだって、ソ連が侵略してこなければ原理主義の道に進む人もそんなにいなかったんじゃないかと思う。

信教の自由を言い訳にさせるべきではない

そもそもの話として、何をするのか自分で考えず、戒律だとか法学者だとかにまかせる態度が、僕にとっては信じられない。 最近はコンビニでもハラール認証マークのついた食品が増えているが、なんだかなぁと思ってしまう。 自分が何を食べるべきかくらい、自分で判断しろよと思う。

別にムスリムを排斥したいわけではないのだが、他人を尊重することと、他人がどういう生き方をしていようが認めることは別の話のように思う。

ヨーロッパの不寛容の象徴のように語られるブルカ禁止法。かぶる自由はあってもいいと思うのでこれは行き過ぎな気もするけれども、自由主義・民主主義・理性主義といった価値に対して、ムスリム(に限らず宗教的な)の生き方を異文化尊重という名のもとで野放しにするのはそれは違うだろうと思う。

wired.jp

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/07/post-1490_1.phpwww.newsweekjapan.jp

たとえば信教の自由を認めることと、特定の宗教のライフスタイルに他のルールを曲げてでもまわりが合わせることはまた別の話のはずだ。 日本でも刑務所でムスリムへの配慮を求めるといったことが行われているが、これが認められるんだったら、僕が刑務所に入れられそうになったら「刑務所に入ることは罪だから許されない」とでもなんでも適当なルールの宗教を信じていることにして、宗教的な配慮を求めるだろう。

www.nikkei.com

www.afpbb.com

日本国内においては、シャリーアよりも日本国法が優先されるべきだ。アメリカでも同様。

ハラール食品は別に他のルールを曲げているわけではないにしても、たとえば大学がムスリムのためにハラールフードを導入して、認証マークのついた食品を買うために他の学生の学費や交付金がつかわれているとしたら、それはすべきではないように思う。

僕の宗教観

日本の神道とか、中国の道教のような、自分が何かをしたいと思ったときに神頼みして気合を入れるみたいな、現世利益的なものがいいよねと思う。