Amazonアカウントを捨てよ、お店へ行こう

外出"自粛"を"要請"するという、「ボランティア活動の強制」にも似たおかしなことが起きている今、EC市場は伸びているようだ。

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コロナ禍のECサイト利用率は78.4%。約3人に1人が2019年比で「利用頻度が増えた」(https://netshop.impress.co.jp/node/8041)

大学生から会社員になってみて、食品を除いて平日に買い物をするということはめったになくなった。最初に働いた会社は銀座にあったので、お昼すこし長めにとって日用品を買うこともあったが、それ以降は周囲にそういったところもなく、買い物をするには休日に行くしか無い。

となると、ほかにも自分の直近の場合、自転車の整備をしたい・スキーに行きたい・そしてこのブログを書く時間をとりたい(最近なかなかとれない)とか、ほかにすべきことを差し置いて買い物にいくということになる。幸い、休みの日くらい家でゴロゴロしたいと思うことはあまりないのでまだ体力はあるのだろう。 そこでECを使うと、あら便利、通勤途中の電車でサクッと必要なものを買って、しかも自宅までとどけてもらうことができるというわけである。 だが、やっぱりそれでいいのだろうか?ということを最近思う。

「可処分時間の奪い合い」なんていう言葉がいっときもてはやされたが、お店で買い物をするというのはすごく不利に立たされている。スマホのゲームやら動画は思い立ったらすぐにアクセスできるが、お店に行くというのは物理的な移動をしなければいけない。 僕はスマホゲームをやらないので想像だが、スマホゲームにかける時間が80%くらいゲームという主目的のための時間に使われているとする。(きっと通信の待ち時間などで多少はロスがあるはず。) そういうのは、フリクションが少なくて薄い時間といえる。

一方で、お店で買い物をするという一連の行為は、10%も本来の目的のために使えていないのではないかと思う。スマホゲームと比較したら、出かけるために着替える時間だって必要だ。 ということを考えると、お店で買い物をするということは、スマホでだらだらするよりも数倍、買い物本体の時間について濃密な時間を過ごしているということでないと辻褄があわない。 そして、それは実際に成し遂げられているんだと思う。実際に物を手にとったりいろいろな方向から眺めてみたり、五感を使ってものを見るというのはいろいろな気付きを与えてくれる。自分が買いに行った物以外が陳列されている様子を眺めることもおもしろい。 スマホゲームとは反対で、フリクションが多くて濃い時間というわけだ。

今お店をあけている人たちというのは、これまでもいろいろな他の時間の使い方に対して、並べる商品の目利き、陳列の創意工夫といった努力で我々の時間を奪う(いい意味です)ことを実現し、しかも倉庫よりも家賃が高いであろう店の家賃を払い続けてきた人たちということになる。

やはりそこには経緯を払うべきなのではないかと思うようになってきた。

それに対して、Amaz○nのようなところは、誰かが作り出した需要にフリーライダー的にのっかって、安い土地に倉庫を構えているコスト的な利を活かして価格勝負で需要をさらっていく。 もちろん、短期的に見たら顧客は安く物が買えて嬉しいかもしれないが、やっぱり文化としてどんどん痩せていってしまうのではないかと思う。

withnews.jp

世界的な傾向で、アメリカもだめ、ドイツもだめ、イギリスもだめ。すべて原因はアマゾン。紙のゲームって、愛好家がやってるものだから、地方のショップが定期的にゲーム大会を開くとかして、それでコミュニティを維持していた部分ある。ところが、そういったコミュニティのコストを払わないアマゾンが安い値段で売るから、買うときはアマゾンで買っちゃう。ドイツのローカルのお店がどんどんつぶれてしまって、ゲームの競技人口も減って、どんどんマーケットがシュリンクする減少が起こっていて。

 いろんなジャンルで今起こっている現象なんですね。アマゾンが進出したためにマーケットが崩壊する現象が。リアルなお店がつぶれたことでマーケットが崩壊する現象。アメリカの音楽市場が崩壊したのも、タワーレコードとか、ああいうリアルな流通網がだめになって急激にだめになった。リアルなお店の網を持っていることがすごく重要なことなんです。

 フランスがなんで元気かというと、評判は悪いけれど、「反アマゾン法」が機能しているんですよ。フランスは小さい書店とかが元気で生き延びている。地方の小さいお店が元気な国ってフランスだけらしいんです。それが反アマゾン法のおかげらしいんですよ。あまり知られてない事実で。むしろフランスが時代錯誤の国でネットのことをわかってない、みたいに報道されているけど、わかってないのは実は日本なんですよ。フランスの方がよっぽど頭いい。

 ――日本にも反アマゾン法が必要ですか。

 それはわからないけど、ネットの通販っていうのは一番楽なとこだけをやっているビジネスですよね。新聞とかだって宅配制度に支えられて、駅の売店で、買わなくても見出しとかが出てるのってすごく重要なことだと思う。世の中に存在感を与えているというか、そういうことで支えられてる。ネットの中で安く売る、必要なところにしかいかない、って押し込められてしまうと接触時間がどんどん減っていくから全体のマーケットシェアがシュリンク(減って)してしまいますよね。

マルタで会ったなかでも、チェコやドイツの人たちには、「Amazonは使わない、通販をするにしても自分たちの国の通販を使う。そうしないと、将来自分たちの国が貧しくなるから」といったことを言っている人がいた印象がある。

少なからず趣味に関する物を売っている店は、将来のお客さんを増やすためにいきなり物をうるのではなくて、まずは興味を持ってもらう、触ってもらう、といったことをやっている。 幸いにして、明日の糧に困るほど経済的に困窮はしていないので、多少高くてもそういった努力に経緯を払って行こうと思う。

そこにタダ乗りしているような通販は、他で買えないものじゃない限り使わないようにするというのが今年の抱負、そして来年以降も続けていきたい。 とはいえ通販に頼らずに生きるのは現実きびしいので、お店をもっているところの通販を使っていこうと思います。