「知能化都市」を読んで

図書館に行くときには、必要で読む本に加えて必ず一冊はその日出会った本を借りるようにしている。 今回借りた本はこれ。

知能化都市 見えない都市をデザインする

知能化都市 見えない都市をデザインする

関谷浩史 著 「知能化都市 見えない都市をデザインする」。 2010年に出版されたものである。

著者は建築家なのだが、いろいろな「失敗」を通して建築の限界を知っていったというような感じなのだが、それを乗り越え集大成的なプロジェクトCURE-OMIYAというのがおお…という感じで、紹介されている過去の「失敗」から何を活かしてこうなるのか正直わからないというものであった。

「フェデレート端末」なるものでいろいろな家電が制御できる住宅、とか「空間感応システムを備えたパーソナルオフィス」とか、コンセプトとしてこういう実験をするのはいいとして、これって本気でこれを使ってほしいと思っているのかな、と考えてしまう。

「劇的ビフォーアフター」という番組が昔あって、これが夫婦と小さな子ども一人みたいな家族が出てきたときも、その家族構成で未来永劫生きると考えているのかな?ってくらい、小さい子供が1人ということに合わせた備え付け家具(取り外しできない)ができていたり、これは…と思いつついつも見ていた。 何ということでしょう、このCURE-OMIYAというコンセプトを聞かされていて、久しぶりにこの番組のことを思い出した。

拡張性もなにもあったもんじゃなくて、きっと吊るしの家電が故障したら「フェデレート端末」に対応した家電はもう買えなくて(ここ用にしか作られていないだろう)徐々に赤外線のリモコンがなんだかんだ便利だね、と言っているところが浮かんでしまった。このコンセプトが実現したかはわからないのだが(CURE-OMIYAで検索してもネイルサロンの情報かこの本の販売サイトしか出てこない)今となってはレトロフューチャー感がある。 まぁ、iPhoneがようやく出始めた時代に今のくらしを想像できる方が珍しいと思うので、しょうがないと思うが、、。

余談だが、昔もらったGoogle Home mini、一度車載にしたという記事を書いたが、あのあとすぐにまたしまい込まれていた。最近、こういうリモコンを買って組み合わせてみたら、けっこう便利なことに気づいた。こういう相互連携を前提にしたエコシステムって、今となっては一般人でも当たり前だが、10年前だと、IT産業にいないと思いつかないものなのかもしれない。

次世代都市は必要か

次世代都市への3条件として筆者があげているのが「空間から人間」「均質から多様」「理性から感情」という3点。さらにまとめるとすると、これまで都市設計というのは、人間が理性的で同じ入力に対して同じ反応をするように考えてきた。が、そうではなくて、ひとりひとりの違い、さらにいうと同じ人でも日によって違う体調や感情によっても、同じ入力に対して人は異なる反応をする。それを前提としよう、ということかと思う。

でも、建築家がそれを気にするのって、傲慢じゃないのか?と感じる。

まぁ、僕が○○ヒルズレジデンスがターゲットとするような超多忙ビジネスパーソンじゃないというのもあるだろうけれども、その日に居たい場所なんて、場所が合わせなくても自分でその日の気分の場所を選んでそこに自分で行けばいいじゃん、と思う。

設備の側が勝手に合わせてくる、

都市を解体するテクノロジー

このコロナで一気にすすんだテレワークやサテライトオフィス化は、不可逆なものになる、、、という願望込みで信じている。(いまのところ自分の会社は全然すすんでいないけれども )

EV・再エネ・自動運転の三位一体によって劇的に下がるであろう移動コストのことを考えると、都市の密度を上げていくというのはハズレだったということなのかもしれない。 自分もかつては、インフラの維持管理コストを考えればコンパクトシティみたいな感じで人をどんどん集めていくほうがよいと思っていたんだけれども、テクノロジーの進歩は逆方向のほうが進んでいるように思う。

電気の、オフグリッドハウス

techable.jp

水のWOTA

wota.co.jp

などライフラインを、スタンドアロンで実現する技術がでてきたことによって、インフラ”網”を維持する必要は薄れていく余地がでてきた。

ガスはもともとプロパンガスというのもあるし、余った電気で水を電気分解しておけば水素がつくれるかもしれない。(都市ガスを置き換えるとしたらどれくらい電気つかうんだろうか?よく知らないけれども) 通信も4Gから下手な家庭用固定回線より早くなっている。

最後に残っていた交通が、このコロナのせいで(おかげで?)代替手段がでてきた。

より一層、都市にこだわることの必然性は薄れてきたと思う。

建築に求められる役割

個人的には、こうなってくると建築はもう「必要」な建物や街をつくる必要はなくなってくるのではないかと思う。それよりは、わざわざ移動して訪れる価値のある、なんらかのストーリーがあるものを作ることに重点がうつっていくのではないだろうか。 通販で何でも買えるし、Zoomで人に会うこともでき、ホワイトカラーなら仕事も家からできる時代、わざわざ移動して訪れる街というのはどこなのだろうか。

そう考えると、六本木ヒルズに美術館を持ってきた森ビルの考えがとても理解できた。オフィスや家、商業施設が人をひきつけているのは過渡期的なもので、むしろ将来を未コスト美術館こそが六本木ヒルズのコアコンピタンスになるんだな、と。

要するに、観光価値が最重要になっていくんじゃないだろうか。