一部表現を訂正
Windowsに開発環境を入れるのが結構大変だったので、プログラマーがMacを使うのもわかるなぁ、とか思っていたら、インターン先では最新型のMacbookProを貸し出され、それを使うことに。
はじめてまともにMac(OSX以降の)を触ることになったんだけれども…前言撤回。今すぐにでも窓から投げ捨てたい。
確かにUNIX系のディレクトリ構造をしているのでパスを通した通してないとかの問題は起きにくい。でも、それ以上に使いにくい。
GUI系のアプリケーションでファイルを開く・保存系のダイアログや、Finderで目的のディレクトリに行きたい時など、ファイルパスを選ぶのが異様に手間取る。おそらくそういうファイルパスとかを意識させずに使わせたいという意図があるのかもしれないが、開発用途には合わないですね。
たしかにWindowsに比べてディレクトリ構造は美しい。(といってもこれはアップルのおかげじゃなくUNIXの伝統。)だが、MacのUIが7割位そのメリットを殺している。
全体的な操作性も気に食わない。一番上にあるバーが現在選択中のアプリケーションに応じて変化するけれども、操作回数が増えるだけ。GNOMEが追随しようとしてたけど、絶対やめたほうがいい。
単に「君はWindowsに慣れてるだけだから。これだからドザーは…。」といわれるかも知れない。だが、GNOME2/3,KDE3/4,Unity,Xfce…いろいろ使ったけどこんなに苦労してるのはMacだけ。
そう、Macだけ。
キーボードが糞糞アンド糞。つい先日ドナドナしたZENBOOKと並ぶ糞さ。3万円台のT100のほうが数段マシという。こんなのでよくコードかけますね。タイプした時のペチッ…というなんとも言えない打鍵感、爪に衝撃があって指がとても疲れる。(ZENBOOKもそうだった)Macbook"Pro"とか言うけど、プロはこんなキーボードで満足できるんですか。
キーボードといえばついでにコマンドキーとかいうそびえ立つ糞。基本的にCtrlの代わりにこっちを使うけど、GNU nanoとかは普通にCtrl使うからややこしい。そして位置もおかしい。修飾キーのあるべき場所じゃないだろ、と。これは単にWindowsと同じ操作にしたくない、という安いプライドがそうさせたとしか思えない。
Windowsを真似したくないといえば、ウィンドウについている最小化とか閉じるボタンもそうかも。OS9までは「閉じる」だけは左上だったけども、右上のほうが多かったのに、わざわざ全部左上に持っていったのもそうかも。(小学校のころ通ってたとある教室ではMacを使ってた。)しかも、よくMac信者はMacはWindowsに比べて<直感的>な操作ができる~とかいうけど、色付きのボタンが並んでるだけよりも×マークが付いてたほうが直感的に「閉じる」だとわかる気がするんだけど。まあこれは別にいいけど。
これもどれが「閉じる」だかわかりにくい |
デザインも好きになれない。確かに、Windowsノートの安物なんかはプラスチック感がひどい物が多く、そういうのよりはマシかもしれない。でもあのどこにおいても調和しますよ、って感じのアルミボディは原宿駅とかにあるオサレ系便器を彷彿とさせる。
こういうやつ |
無難なだけで、絶対に欲しくはならないデザイン。
キーボードは全然ダメだけど、デザインは超かっこいい。 |
フォントレンダリング等、ディスプレイ内のデザインのほうをいう人もいる。でもこれはWindowsはどんなPCで動かされるかわからないという制約がある以上、なかなか避けられない問題なのではないだろうか。画面サイズもドットピッチも数えるほどの種類しかないMacが有利なのは、それだけハード的な多様性がないということを意味している。スマートフォンの領域でも同じことがいえる。
意識高い系がMacを使っていることが多い。
意識高いといってもいわゆる量産型意識高い大学生(海外何カ国いきました、こういうプロジェクトやってます(このプロジェクトも量産型)、将来は起業したいです)が多いんだけど、もしかしたらMacってこういう奴らを惹きつける化学物質を発する装置とかがついてるのだろうか。その装置の分だけ同じスペックのWindowsノートより高いのかもしれない。なるほどそれなら納得。
確かに開発環境という意味ではMacのほうがWindowsよりマシかもしれない。でもそれはWindowsという低いハードルには優ってるだけという話で、デスクトップLinuxのほうが更に上を行っている。
プロプラのソフトウェアが充実してて「楽しめる」Windows、開発したりサーバーたてたり「基幹をになう」UNIX/Linux、その中間で妥協して、「どっちもそれなり」のMac。
僕だったらWindowsとLinuxを使いますね。