今「パーフェクトPython」を読んでいる。入門者用の本というと大体どの言語も内容が決まっていて、いつも不満を感じている。基本的に「○○入門」系の本はその言語で「プログラムの基礎」を学ぶ本になっていて、その言語特有の事項は省かれがちである。
Pythonでいうと、単一のスクリプトでプログラムを書くことまでは説明してあってもif __name__ = "__main__":以下がmain関数に当たる部分になる、とか__hoge__系のメソッドの話とか「デコレータ」とは何かとか…。
初めて「プログラミング」を する場合はいいんだけれども、初めてPythonを触る(プログラミングが初めてだとは言っていない)という場合に役に立つ本というのはなかなかない。
というのは実は余談で、このパーフェクトPythonは一年以上ぶりに自分で金を出して買った新品の本である。
基本的に本は中古でしか買わないのであるが、いざ調べてみると予想以上に新品の本を買ってなくて驚いた。(最近でも校費購入してもらったのは結構あるけれども)
最近は本を読まない若者が増えている、だとかで特に若年層の活字離れが進んでいる、というのを初めて聞いたときの「若者」はもうすでに若者という年齢でもなくなってきているような気がするが、 いまだに同じことは言われている。
でも、そんなのは娯楽が増えた現在当たり前の話であって、映画だとかラジオだとかもすでに「_離れ」をされつつも未だに生き残っている。
個人的にはベストセラーになるような大衆小説を読んでるくらいだったらSFC時代のファイナルファンタジーでもやってたほうがよっぽど時間の有効活用だと思う。
こういうのもね |
漫画と違って活字は絵がないから想像力が…とかのたまう連中もいるけれども、オメガやしんりゅうを倒すためのアビリティ・装備を考えている方がよっぽど頭をつかってるだろう。第一、読書離れがどうこうという話をする時読まれている本の内容が考慮されているのを見たことがない。活字になっていればどんなテキストでも高尚なものに変身するのか?
(ちなみに、自分の場合チート無しプレイではしんりゅう改だけは倒せなかった…。)
十年近く触れてないのでイメージで語るけれども、さらに理解できないのはライトノベルで、こんなものはもはや何らかの代替物すら必要なくあの程度なら自分一人で勝手に妄想してれば十分なんじゃないだろうか。(explicitになってないとダメなのか?)
これからの時代、大衆向けの本なんてものは必要なくて広義の「専門書」さえ出ていれば十分である。
活字に対する需要はどんどん減っているけれども、それは悪いことではない。問題はそれを悪いことだと捉えて必要とされてないものを保護しようとすることである。
いわゆるアカデミックな本なんか特にそうだが、代替がきかないのをいいことにハードカバーのたっかい単行本しか出さないような悪徳業者が淘汰されて権利が放出されるのはむしろ良いことなのではないだろうか。(果たしてほかが引き取るのかどうかはともかく)
定価で売れるということにあぐらをかいている出版社が多すぎるのではないだろうか。
大手でいうとちくま学芸文庫は競合(河出文庫あたりを想定。岩波は古典メインだしちょっと違うか)に比べて明らかに安っぽいのに値段は高い。そんなに売れるものでもないから価格が高くなるのはしょうがないにしても、それをあんなカバーでくるむのはどうなんだ?といつも思う。
需要と供給ですべてが決まる資本主義が最も優れているという気は全くないけれども、出版業界はさすがに歪み過ぎだと思う。