ルイ・ヴィトン展にいってきた

麹町のあたりで開催されている「Volez, Voguez, Voyagez – Louis Vuitton」(空へ、海へ、彼方へ──旅するルイ・ヴィトン)展というのに行ってきた。


6/19までの開催なので、興味がある人は早めにGo。

13時に入場した時はスムーズに入れたけれども、出るときには入場制限もかかっていたし会場外まで行列ができていたので、午前中に行ったほうがいいかも。
すぐ近くの上智大出身の人といったんだけれども、その人いわく会場はもともと何もなかった場所だったらしい。つまりこの企画展のためだけにプレハブをおっ立ててやっているらしい。しかもそこそこの規模。いくらかかったんだろう。

最近、ブランド物を持つ意味というものについて別記事を書いた。それ以降も同じテーマは頭に残っていたんだけど、最近「ブランド物を持つ意味をわかりやすく言うと、文章を書くとき引用句を使うようなものだ」ということを思いついた。

たとえばいきなり僕が「Amazonは辞典だ」なんて言っても伝わらないだろう。
話自体ゼロから自分で説明しないといけないし、自分の考えが独りよがりの突飛な考えであると思われないようにするのは至難の業だ。
でも、ボードリヤールを引用して現代の消費行動においてはモノ自体の価値よりも記号的価値のほうが重視されている(という主張がある)というバックグラウンドの解説を投げることができるし、世の中には自分と同じようなテーマに注目している人が存在しているし、一定の権威を得ているということも同時に示すことができる。
その上で「商品が多数揃っているAmazonは、我々に消費を通したコミュニケーションのための語彙を提供してくれるという意味で辞典に近い存在といえるのではないだろうか」
ボードリヤールを知っている人なら、これで僕のいいたいことはすっきり理解できてなるほどそういうことかと思ってくれるかもしれないし、いやいやそうじゃないだろと言ってくれるかもしれない。
ボードリヤールを知らない人でも、(自分は知らないけど)有名な人がそう言っているなら、この人のいうこともそんなに突飛なことではないだろうと思ってくれるかもしれない。

ブランドを活用することが引用に近いというのは、自分の組み立てるメッセージの権威付けを、自分以外に任せることができるという意味で、である。
ノンブランドのアイテムを組み合わせていくのは、自分で言葉を選んで組み立てた文章だけで勝負するようなものである。
よほどの技量があればよいが、普通の人がやるとメッセージをうまく伝えることは出来ない。
(衣装にどの程度メッセージを込めたいのかは人それぞれだと思うが、初対面の相手が最初に受け取るメッセージは言葉ではなく外見であるということは気をつけたほうがよいだろう。)
一方で、引用しかない文章が空っぽであるように、ブランド物だけで全身固めているような人は空っぽな人間に見えるだろう。

ルイ・ヴィトン展にいっておいてこういうことを言っていいのかわからないけど、僕にはルイ・ヴィトン(特にモノグラム柄のついているもの)とロレックスをほしがる人の気持はわからない。
両者とも、記号としてわかりやすすぎるのが難点だ。

ロレックスのことは一旦忘れてルイ・ヴィトンに話を絞ろう。ルイ・ヴィトンにはある特徴がある。
それはあのモノグラム柄だ。あのモノグラム柄=ルイ・ヴィトンというのは田舎の中学生でも知っている。
つまり、誰にでもアピールすることができるブランドであるわけだ。
しかし誰でも知っていて、多くの人が欲しがるものには色がなく単に「高級なものである」というメッセージ性しか持ち得ないように感じる。

前述したようにブランドを持つということは、そのブランドを「引用」することだとすれば、単に「高級なものである」というメッセージ性しかもたないものを「引用」したところで、当人の成金趣味を見せびらかしているように感じてしまう。
だからそういうものを持っている人は、自分に対してイメージがなく、単に人がいいと思うものなら何でもいいものに見えてしまう、空虚な人間に見えてしまうのだ。

そこはさすがにルイ・ヴィトン展だけあって、ルイ・ヴィトンのモノグラム柄バッグを魅せつけるように持っている人がいたが、品がないなぁと思ってしまった。
展示を見ればルイヴィトンの何が人を引き付けるのか、なにかわかるだろうかと思ったけど、結局よくわからなかった。