ツールの特性によって生まれた表現技法

DJ関連の動画をYoutubeで見ていて、昔はループを2トラックを使い実現していたことを知った。

ループ表現


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片方のチャンネルで音を出している間もう片方のレコードを戻しておきループ箇所の終わりにきたらクロスフェーダーを反対に切り替えてというのを繰り返すことでループができるというわけだ。

この方式では、今のEDMのミックスで使われるようなループを徐々に短くしていって、ドン・ドン・ドンドンドンドンドドドドドドドドドドドドドドという盛り上げ方をすることはできない。

こういった表現は音楽の記録が、空気の振動を物理的に記録するレコードから自由になりどこにでも瞬時にジャンプできるようになったことによって可能になった表現だと言える。

自撮り・リツイート・リプライ

もちろん、音自体をシンセサイザーによって作れるようになったという本質的な(意図されたと言っても良いか)表現の進化とは別に、副次的に生まれたのではないかという表現の進化について考えてみた。 すると、同様の事例は他にもありそうだ。

写真のデジタル化によって、「フィルター」のような加工が可能になったりレタッチが容易になった。これは当たり前で、本質的な進化である。 ループのような例としては、撮れるはずの写真をリアルタイムで見ながら写真を撮ることによって可能になった表現として「自撮り」がある。

もちろん、アナログのカメラだって自分の方にレンズを向けて撮れば撮れないこともないが、何が画面に写っているのかわからずどんな表情をしているかわからない中では、自撮りを撮る意味があまりない。 自撮りは写真がデジタル化したから生まれた表現方法である。

また、SNSにおける引用、これもデジタル化によって初めて可能になった。 SNSによって誰でも世界中に向けて情報を発信できる余地が生まれた、というのは本質的な進化である。 そこに対しては、リツイート(とか)やリプライといった表現方法が副産物として考えられる。

アナログ時代も、本人が本を書いているとかすればその中で発言を引用することができた。しかし、SNSによって一般庶民の日常の投稿が、SNSのサービスプロバイダーによってこの発言はアカウント当人のものであると保証された上で引用されうるようになった。 同様に、相手の特定のメッセージに紐付けてメッセージを投稿するリプライも、個別のメッセージにIDをふるSNSだからこそ可能なもので、アナログ時代の会話にはあり得なかった話だ。

これからの動画の時代は何が起きるか

Vlogという言葉がバズっているが、今後のデジタルコミュニケーションの主戦場は動画に移って行くだろう。 そんな時代には、どんな文化が生まれるだろうか。

ここから先はただの想像だが、カメラを動かすことによって生まれる表現というのは生まれるんじゃないかと思う。 カメラを振ることで感情を表現するような表現はあり得るかもしれない。

また、他の使い方もあるのではないだろうか。 動画はテキスト・画像でできた静的な記事と違って「シーク」をすることが難しい。 音声も早回しになってしまうため、早回しをしながら自分の聞きたい話に飛ぶことができない。 そこで、話の区切りごとにカメラを振って一度自分を画面外に出す、ことで簡易にチャプターをつけることができるのではないだろうか。

こういう、ツールをこんなふうに使ったら新しい表現ができるよ、ということに気づく人ってどんな人なんだろうか。 生まれる仕組みについて、興味がある。