デマをめぐる複雑なゲーム
2020年2月末、ティッシュペーパーやトイレットペーパーが店頭から消えた。
もとより新型コロナウイルスの世界的な流行に伴う不安により、マスクの需要が高まり、争奪戦の様相がみられているときに、「ティッシュやトイレットペーパーの原材料や生産ラインがマスク生産に振り分けられるため、品薄が起きると予測される」というデマが流行した。
ここで注意しなければならないのが、買い占め行動を行っている人たちが全員このデマに惑わされているわけではないという点だ。
話題のデマ自体はまったく根拠のないものであったにもかかわらず、結果を見ると店頭から実際にティッシュやトイレットペーパーは消えた。 マスクと違って平常時の需要量が多いため、生産力としては問題がないそうだ。だがそれを輸送するということを考えると特に都市部では数日間供給不足が続くだろう。
おりしも花粉シーズン、多くの人たちはティッシュの使用量が急激に増えているし、トイレットペーパーはなければ生活に大きな支障が出る。 マンションやアパートに住んでいれば、そんなに多くの予備を置くこともできないし、今手に入らなくなれば困るという世帯は多いだろう。 デマ自体は嘘だとわかっていたとしても、デマに惑わされた買い占めが起きて数日手に入らない状況が想定されるとなれば自分も買うというのが合理的な判断なのだ。
さらにいえば、デマ自体は嘘だとわかっているしみんな嘘だとわかっていると信じていたとしても合理的に考えれば購入にはしるだろうということを予期しても、やはり自分も購入するというのが合理的な判断となってしまう。 特に買い占め映像を一度見てしまえば、デマ云々ではなく事実なくなっていることが見えてしまうわけだ。
この場合、デマ自体を信じていなくても、デマを信じる人がいるという事実を織り込むとデマを信じるのと同じ行動をすることが合理的な選択となってしまうのである。
(学生時代の研究室にいた先生は、災害時のデマの拡散をどう食い止めるかという研究をしていたのを思い出した。下の鳥海先生という人)
SIRモデル
感染症の流行を表す古典的なモデルにSIRというものがある。SIRモデルは、人がS(未感染)→I(感染)→R(回復、免疫獲得)という状態遷移をとるという過程をするものだ。
このRが社会にどれだけいるか、というのが感染拡大のスピードに大きく効いてくるものとなる。 インフルエンザワクチンも打ったら絶対ならない、というわけではないけれども感染する確率は下がる。 流行が始まる前に社会にRを事前にばらまいておくことで、流行が拡大するスピードがおさえることができるということになる。
そして、このSIRモデルのようなモデルは、感染症以外、ファッションとかも含めさまざまな「流行」現象を単純な割にはそこそこよく表すことができる。 計算機が安くなった今では地理的な距離や、人による人脈の多寡など考慮できない要因も多いので、マルチエージェントでモデル化するほうが多いのではないかと思うけれども。
ワクチンによる免疫獲得
これは余談だが、実はワクチンというのは体の内部でも同じようなメカニズムで動いている。
人間が感染症にかかったとき、基本的にはその病原体に対する免疫がないので、最初は一気にやられてしまうわけである。しかし、その病原体を識別できるようになり、その病原体と戦う免疫細胞が大量に作られ対処するということになる。 そして、一度感染した経験があると、免疫系の中に記憶があるので対応スピードがあがる。なので一度かかると二度とかからない感染症というものが多いのである。
ワクチンというのはもともと無毒化・弱毒化した病原体を体に入れて、免疫系に事前に敵の形を覚えさせることで免疫を実現しているわけである。 (今も基本的には同じだが、毒素を取り除いて免疫系が識別に使う部分だけを使うワクチンもある。)
感染症とデマ
本題に戻ると、感染症の拡大とデマの拡大というのは同じようなモデルで捉えることができる。 であれば、対処としても同じようなものがいえるんじゃないだろうか。
なかなか難しい話だとは思うんだけれども、弱毒化したというか、事態を制御する方向に誘導できそうなデマ情報を流していくことで社会をうまく良い方向に誘導できるのではないだろうか。
「3/5頃をめどに政府がマスクを配布する予定だから今あせって買う必要がない」という誤情報をながしておけば、少しはだまされて買い占めに走る人がへるかもしれない。そうすれば品薄状態もすこし改善され、買えなくなるかもしれないから自分も、という購買行動も抑えられる可能性がある。この政府が配るよデマに騙されて、異常な購買行動を控える人が"R"に相当するようになるわけだ。
ついでに、本件とは関係なくもできるかもしれない。
たとえば「感染者がタバコをすっていると、副流煙に生きたウイルスがのっていて周囲に感染を広げてしまう」といったものが出回れば、信じ込むか、または信じ込んだ人が不安でクレームをつけてくるかもしれないから「じゃあ喫煙所を閉鎖しよう」という決断をするかもしれない。そのうち一定数は一時的な対応ではなく恒久的なものになるかもしれない。(「いつかはしなければいけないと思ってたけど、いい機会だし」といった具合に) また、同居家族が信じ込むか、またはいい機会だから信じ込んだふりをして当人に禁煙を迫ることができるかもしれない。
といった具合に。
これが負の方向にはたらく可能性ももちろんあるわけだけだが、グロースハックの手法をうまく使えば悪い影響がみられたら軌道修正しつつ、うまくコントロールできるのではないかという気もする。