あつまれ どうぶつの森をやりながら考えた時代の転換点

これまでテレビゲームのたぐいを一切やったことがない家族が、「あつまれどうぶつの森」をやりたいと言い出した。 どうやら、王様のブランチを見て影響されたらしい。

ひさしぶりのゲーム機

そもそもニンテンドースイッチが家になかったので、それを手に入れるところから始める必要があった。 というわけで、任天堂とヨドバシカメラの抽選に家族総出で参加することになった。

折しもの品薄で、ほしいと言い出してから1ヶ月近くたってようやくスイッチライトを手に入れることができた。 (本当はリングフィットアドベンチャーもやりたかったそうなので、いまだにライトじゃないスイッチの抽選にはチャレンジ中)

現世代のゲーム機を買うなんて高校生以来だから10年以上ぶりということになる。 PSPかDSか、どっちが後だっかは忘れたけれどもその世代が最後だった。

実はついこの間、中古のWiiを買っていたのだが、そういえばWiiも同じくらいの世代だ。

PSPもDSもWebブラウザが組み込まれていたりはしていたし、やったことはないがDQ9もインターネットでマップを配布とかしていた。 でもゲーム機でDL販売でゲームが買えるとかアップデートされるなんていうのは、なるほどこんな時代か…という感じ。 もちろんそれができることは知ってはいたし、PCゲームは当たり前のようにSteamで買ったりはしていたのではあるが、今や小学生でもDL販売が当たり前なんだなーと。

誰に聞いても知っている人がいないので、もしや実は子供の頃に宇宙人に擬似記憶を植え付けられたのか?と一時期不安になっていたのだが、昔コンビニでゲームを買えるサービスがあった。 ブランクカセットを差し込んで、好きなゲームを書き込めるというやつである。

ja.wikipedia.org

実際に自分がつかったことはないのだが、なんでも「遊ばなくなったゲームのカセットを差し込めば他のゲームに買えることができる」と厚く語っていた、小学生時代の名前も思い出せない友達の姿がおぼろげに浮かんでくる。 実際には、専用の書き換えできるカセットが必要なのだが、原理がわかっていなかったのか、話を盛っていたのか、、。

どうぶつの森の前に

スイッチライトがとどいても、肝心の当人はいろいろな理由をつけ、なかなか手を付けなかった。 抽選を当てたのは僕だったので、当てた甲斐がないなぁと思いつつも、せっかくなのでなにかゲームをやってみようと思った。 ストアを見ると、前から少し気になっていたCupheadがあったので、まずはそれを。

ec.nintendo.com

最初の頃からだいぶ苦戦はしつつも、何度もやっているうちに徐々にパターンに対処できるようになり、達成する喜びを味わえていたのだが。 ついに最初の島の最後のステージ、「危険なツェッペリン」が何度挑んでもどうしようもなく、すでにあきらめてしまった、、、。

そういえば僕はゲームがかなり下手な方だった。

はじめてのゲーム

ようやく当人があつ森を始めることになり、DL販売で購入したのだが、このおかげですこし躓くことに。

ゲームではだいたいAボタンで決定やメッセージ送り、Bボタンでキャンセルというのはどのゲームでも共通した操作体系になっていて、僕なんかはなかば世界の物理法則であるかのように感じていたわけだが、そういえばそうじゃなかったんだな、ということを思い出した。

そういえば昔ゲームをやっていたとき、ゲームの外の実生活なのに走ろうとして、「シフトボタン押さなきゃ…シフトボタン?」という自分でもわけのわからない考えになってしまうことがしばしあった。

しかしまぁ、どうぶつの森が特にテクニックを要求されないゲームということもあり、とまどっていたのも初日くらいで、すぐに適応していた。

なんにせよ、ちょっとだけコロナ鬱みたいな状態になっていたので、いい気晴らしができたようでよかったよかった。

ゲームの中が生きる世界になる?

さて、このコロナ禍のなか、多くの「リアル」の世界のプレイヤーがゲームの世界に流れ込んできた。

あつまれどうぶつの森であれば、ファッションブランドが多数「マイデザイン」を公開してみたり、「フォートナイト」の中でミュージシャンがライブを開催したりといったような感じで。

game.watch.impress.co.jp

game.watch.impress.co.jp

リアルを模した空間として、多くの人がアクセスするのがゲームだったということだろう。(セカンドライフも今だったらうまくいったかもね) オンラインが前提であったからこそ、動きなどでコミュニケーションをとる手段が存在していた、というのも重要なファクターだろう。

いままでも、ゲームをあつかうプラットフォームというのは多く存在してきたわけだが、ゲームがプラットフォームになる時代が近いのかもしれない。

フォートナイトというゲームもやったことがないのでそういう性質のものなのかはわからないが、フォートナイトがコミュニケーションやエンターテインメントのプラットフォームになればこれまでプラットフォームとしてこの世の春を謳歌してきたアップルやGoogleのアプリストアは、フォートナイトにたどり着くためのパスの一つにしかすぎなくなる。

スマホの登場とともに、OSを中心としたエコシステムが生まれたわけだが、ほぼ10年の歳月がながれ、新たな時代、OSが関係ないエコシステムが生まれつつあるという時代の転換点を見ているのかもしれない。

エコシステムの転換はゲームに限らない

5Gモバイル通信の時代が、本当に宣伝文句のとおりの性能を発揮するのであれば、もはやゲームを動かすために手元に高性能なマシンはいらず、GoogleのStadiaをはじめとするクラウドのむこうにあるゲーム機を、手元のなんでもいいデバイスで動かすということになる。

(例にあげたフォートナイトは別にそういう仕組みであるわけではない。ゲームがプラットフォーム化しつつある、という点に限っての例である。)

でもこれはゲームに限らず、ゲームがそれできるんだったら、映像制作であれオフィス作業であれ、いままでPCで行っていた作業はすべてそうすることも可能だろう。 今までもショボい仮想デスクトップなんていうのはいろいろあったけれども、ゲームが動くというのは到達点としてそれらとはかなり違ってくるものと思う。

手元のPCがWindowsだろうがMacだろうがLinuxだろうが関係なく、クラウドの向こうのコンピュータ上ですべてのアプリが動いていて、直接人がインターフェイスするコンピュータはなんでもよくなる…たとえば自分のPCという概念はなく街中にあるシンクライアントにユーザーIDとパスワードを入れれば、いつでもどこでも作業をテイクオーバーできる、というような時代になっていくなんていう感じに。

となってくると、もはや手元のデバイスがWindowsだとかMacだとかiOSだとかAndroidだとかは別にどうでもよくて、それに紐付いたアプリストアを使う必要はまったくない。 用途に応じて、細かいプラットフォームが多数出てくるのでは?と期待してしまう。

アメリカのメガテック企業だけがプラットフォーマーとしていい顔ができる時代は、実は終わりが近いのではないだろうか。