開成高校時代の友人と話して、あらためて社会の害悪だと思ったという話。
一回書いたはずの記事が消えてしまっていたけど、Googleのキャッシュからなんとか公開したバージョンを見つけて復活させることができた。
性役割にとらわれている同級生
僕は開成高校という男子校の高校出身である。 高校から入学した「新高」だ。 数日前に同級生と話す機会があった。 彼は中学から開成という「旧高」であり、僕よりもあの環境に浸かっていた時間は長い。
細かい流れは忘れてしまったけども、彼はだいぶ凝り固まった考え方をしているみたいで
- 結局女性に教育をしても、社会は男社会なんだからまわりにつぶされる
- 女性に優れた能力があるひとがいるのは否定しないけど、結局潰されるんだから高等教育をしても無駄になりやすい
- だったら効率を考えれば高等教育はいらないんでは
云々。
というようなことを聞いてから、なんでそういう風に考えるように人はなるのだろうか?ということを考えた。
それを考えている中、これまでもモヤモヤと男子校というのが好ましくない存在だとは思っていたけどその理由が思いついた。
あくまでこの事件は、考えるきっかけになっただけであることは注意。 男子校出身者がミソジニストになりやすい傾向があることを突き止めたという内容ではない。
男子校という制度が正当化されない理由
男子校が許されない理由は、男女を区別する取り扱いを正当化していることだ。
僕が卒業した後で校長になった人が出たがりなようで、いろんなインタビュー記事を見かける。
確かに、現在では男子校や女子校は絶滅危惧種のようなものだと言ってもいいと思います(笑)。しかし、私は今という時代だからこそ、男子校の存在意義があると感じています。 というのも、現代社会では地域のコミュニティが希薄となり、昔は地域の中で目上の人から当たり前のように伝えられてきた、思春期に男の子から男性にスムーズに移行するためのいわば“通過儀礼”のような儀式が行われなくなってきた。しかし、中1の男子は成長の個体差が非常に大きいため、こうしたことは学校の授業で一律に教えられるものではありません。その点、本校は中高一貫校なので、男性になるためのプロセスに不可欠な情報を、日々の生活の中で生徒の発達段階に応じて先輩から後輩へ的確に伝わっていく土壌があるのです。 加えて、中学時代は女子の方が成長が早いため、共学の学校ではいろいろな学校行事で女子がリーダーシップを取り、男子はサポート役に回ることが多い。しかし、男子校ではすべての役割を男子だけでこなさなければならないため、知らず知らずのうちにリーダーシップや行動力などが培われていくというメリットもあります。
こんなことを言っている様子。
思春期に男の子から男性にスムーズに移行するためのいわば“通過儀礼”のような儀式が行われなくなってきた。しかし、中1の男子は成長の個体差が非常に大きいため、こうしたことは学校の授業で一律に教えられるものではありません。その点、本校は中高一貫校なので、男性になるためのプロセスに不可欠な情報を、日々の生活の中で生徒の発達段階に応じて先輩から後輩へ的確に伝わっていく土壌があるのです。
こういった部分は、文化的によるものだと思う。
仮にこれが人種で同じことを言っていたらどうだろうか。 白人とアジア人では成長の仕方が違うので、分けて教育することにメリットがあるんです、みたいな。
平均的に見て男女に違いがある、これは間違いないだろう。体の器官が違うんだから。 だからといって、じゃあ分けて教育しましょうというのを大人が正当化してしまったら、社会で男と女の役割は違うんだということを学ぶことになる。
まずこの時点で悪い影響を発揮しているわけだ。
エリートコースの男子独占
最悪男子校があっても同等の教育機会があるのであれば、まだ男女の成熟時期の違いに合わせた教育をしてるのだというのも百歩譲ってあげる余地は生まれる。 男子校・女子校を分けたことによって、それぞれで素晴らしい学校が同じくらい生まれているのなら、平等の観点ではうーん🤔だとしても効率の観点からは分けることに意味があったといえる。
しかし、実際は男女別の最適化ではなくエリートコースの男子独占というのが実態なのである。
画像は下の記事から切り抜き。
高校受験に関して言えば、灘・筑駒・開成に相当する選択肢が女子にはそもそも与えられていない。
ここらの高校からは一、二段落ちて共学の学芸大付属と筑波大付属、そして女子校の慶応女子が最上の進学先となる。
受験科目数で分かれているのでSAPIXの偏差値表を、同じ偏差値が並ぶようにしてみると、、、
合格偏差値表 | SAPIX中学部|難関高校を目指す小・中学生のための進学塾
僕は中学3年の一年間通った塾をI学院とする。 僕と同学年の代では、塾内模試は女子二人が毎回一位を争っていて、たまに僕も一位にわりこませてもらっていた。 その年のI学院は、筑駒・開成合わせると40人くらい合格実績があったと思う。
彼女たち2人の方がその年度のI学院の男子全員より上にいたのに、下にいた40人の男子よりも学力という点では下回る選択肢しか取り得なかったのだ。。
個人の努力をアシストする環境へのアクセス権
もちろん、高校受験というのは一つのステップであってそこから個人で頑張ればいくらでも活躍する可能性はある。 しかし周りのレベルはより高いほうがよりレベルの高い情報は座ってても入ってくるし、アラムナイネットワークという「オールドボーイネットワーク」へのアクセス権がある。 そこに女子は参加できないようになっている。
同じ能力で同じ努力をするときに使えるリソースに差が出てしまう。 先ほどのインタビューでも
先輩や仲間たちとの交流の中で培われてきたものです。開成は卒業生のネットワークが非常に密な学校でもあります。このことは、多くの卒業生が開成時代に培った友情を何より大切に思っていることの証だと思います。
といったことが書かれているが、実際、同じ歳で起業してまずまずうまく行っている同級生たちは、このネットワークをかなり活用しているようだ。
ただ、特に霞が関方面でxx開成会を実施しました、みたいな報告を同窓会の会報誌を見ると、高校時代の内輪ノリが国の意思決定にもわずかには入り込んでしまっているようなこともあるのかも、、?とすら勘ぐってしまう。 こういう、非公式な場でできた繋がりが、昇進とかにも多少効くとは思うので。
結論
話はそれてしまったがもどると、、
男子校という装置は、男と女は違うんだから別の扱いをしていいんだ、機会も平等でなくてよいんだ、という考えで作られている。
人格形成期に「男と女は違うのだから分かれて存在するべきだ」という考えをすりこまれながら育っていくわけだ。 今の総理大臣が開成出身であるように社会を動かす層にいる出身者は多い。 そして、男女を分けて教育するとうたっておきながら女子が同等の教育機会を得にくいことについては見て見ぬふりをしているのが今の「男子校」制度である。
男子と女子の成長の速さの違いとか御託を並べながら、男子だけでお互いの成功を助け合おうという精神に助けられた人たちが社会を動かしていたら、そりゃあ男女の機会均等なんて望むべくもないよねという。
今週のお題「試験の思い出」