自己紹介すると出身校が開成高校、東京大学というと超お受験エリートのように聞こえるが、中学受験はしようとしたこともないし、小学生から塾漬けにさせられたこともない。
学力による選抜について考え方が変わってきた
「推薦入試」とか「AO入試」は悪で、学力による選抜が優れていると思っていた。 自分の経歴を正当化するポジショントークでもある。
しかし小学校時代からお塾に通わせて「学力」エリートを育成することは日本社会にあんまり良い結果をもたらしていないんじゃないかとこの頃は感じる。
まぁお受験の歴史専門家でもないのでいつからお受験エリートが高い地位につき始めたのかちゃんとした分析をしたわけじゃないが。 ここ数十年の日本は、こんな国である。
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ありがとう自民党政治。
ちがう競争の必要性
日本人は、適当に人を採用しても読み書きはできるしヤク中も少ない。アメリカのように街の至る所でフェンタニル中毒者が転がっている光景を見ることは今のところない。
それなのにこういった結果をもたらすのは、政治家・官僚といった国家のグランドデザインを書いたり企業の中で意思決定をするようなマネージャークラスの人材だったり、飛び抜けて優秀な異才が育っていないということの表れなんだと思っている。
本来士官や特殊部隊として教育を受けなきゃいけない層に対しても「優秀なソルジャー、せいぜい下士官」としての教育しか受けさせてないということなんだろう。
社会をリードしていく階層の人にとっては、ペーパーテストの結果よりもどれだけ子どものころに広く世界を見たかというほうが大事なんだと思う。
国外に出たことがないが中学の英語の試験はいつも満点というより、中学時代に日本の外の家庭で1週間でもホームステイしてましたという方が将来の糧になる、というのが実感だ。 僕は大学卒業まで一度も日本の外に出たことはなかったが。
自分も年を取るにつれて、大企業の経営者だったり
学力競争は労働者のための選抜
日本の学力入試というのは、確かに貧しい生まれでも一発逆転できる希望が残っていて、良い制度のように一見見える。 もちろん親が塾代をどれだけ出してくれるかで有利不利はちがう。
しかしこれって、他の国だったら将来に備えて広い見聞を得ているような「未来の指導者層」もSAPIXやら鉄緑会やらお塾に縛り付けて、ソルジャーとしての競争に参加させているだけなんじゃ?と思い始めた。
さらにいうと、本来だったら技能職や職人として才能があるような子も学力という観点から落ちこぼれというレッテルを貼ってしまって劣等感を植え付けている可能性もある。
ドイツでは小学校の成績で将来大学に行けるかが決まるらしい。 早めに適性を見極めて将来に合わせた教育をうけられるようにするほうが結果つく職業に合わせた教育が受けられて、より稼げるようになる。
効率と公平のバランスを取るには
アメリカやイギリスが国全体としてはGDPを伸ばし続けられているというのは、将来の指導者層と職人層に同じ土俵で戦わせてないからなんじゃないかという気がする。
GDPが伸びてりゃいいのかというわけでもなく、それぞれ日本以上に貧困問題はあると思う。
ただ指導者層に必要な経験を子どものころにできるかどうかは生まれた家による部分が多い。
イギリスはいまだに階級社会だし、アメリカンドリームもとうの昔の話になった。
だがパイ自体が増えてない中ではいくら平等を重視してもみんなが貧しくなっていくだけだし、みんなが貧しくなっていけばいずれアメリカと同じくらいの貧困問題がのしかかってくるだろう。
公的な教育システムが近々かわることは期待できないが、子どもにはこういう観点で塾と家の往復ではない生き方をさせてあげたいなと思った。