ブラックホーク・ダウンとプラトーンを見終わったけど、期待していたほどではなかった感。
特にブラックホーク・ダウンはほんとにコールオブデューティーだった。(CoD4:MWとの類似性はいろいろなところで指摘されてますね)アメリカ兵側はキャラ付けされて感情移入しやすいようになっている。そんなヒーローであるアメリカ兵たちに無名の(顔のない)ソマリア民兵がわらわら襲い掛かってくる。圧倒的に多勢に無勢、もともと短時間の作戦の予定だったから装備も弾薬も不十分なアメリカ兵たちはひとりまた一人と死傷しながらも必死に助けを待ち続ける。そして基地で待つ指揮官は死傷者もかならず帰還させると誓う…というストーリー。
まぁ要するに娯楽アクション映画であったというわけである。
プラトーンのほうがなぜハート・ロッカーより劣ると思うかというと、プラトーンにおける戦争の狂気はあくまでも外から与えられるものだというように描かれているように感じるからだ。主人公以外はみな田舎の貧困層の若者で、かれらはおそらく「経済的徴兵制」によってベトナムにやってきた。(そんな現状を主人公はおかしいと言って志願したわけだけど)
そこで「ベトナムの瘴気にあてられて」おかしくなっているという感じだ。
ハート・ロッカーで描かれるアメリカの暮らしは平和そのものである。スーパーにはたくさんの食べ物があるし、子供はおもちゃに囲まれている。
しかし、そこでの生は消費の差異としてしか存在しない。どのシリアルを買うか選択することが生きることなのである。それが「子供の頃のたくさんの大切なもの」なんだと思う。
しかしジェームズ軍曹は戦争という場でいきいきとした生というものを実感したからこそ、それらの生がまがいものであることに気がついたのではないだろうか。
アメリカの戦争というのは特殊なもので、いつもアメリカ兵はアメリカの外で戦っている。
徴兵制があったころの話ならともかく、ブラックホーク・ダウンやハート・ロッカーの時代では自ら選んで戦争に向かっているわけであるけれども、それを積極的に選んでしまう理由について物語られているところが惹かれるポイントなんだと思う。(プラトーンを見て戦争に行きたいと思う人は少ないと思うけど、ハート・ロッカーを見て行きたくなる人はいると思う)