ガラスの二重天井

マルタにいるときか帰ってきてからの話なのか、誰にいわれたのかすら覚えていないんだけど(女性だったということだけは確か)、ルーマニアで初対面のガイドと二人でドライブしたとかチュニジアで夜行列車に乗って弾丸旅行をしてきたとかいう話をしていたら、「<僕の名前>は男に生まれてよかったね、女に生まれてたらそんな冒険はできなかったよ笑」ということを言われた。 当人はあんまり深い意図はなかったのだと思うけど、今になって考えてみる。

言われてみたものの、本当に僕の経験程度のものが「できない」と言わしめてしまうほどのものかというとそれは疑わしい。 自分だったらできないようなバックパッキングの旅を経験しているような女性も会ったことあるし、インターネット上ではそれこそ無数の経験談を見る。 僕からしてみると、男女どうこうというより適切にWeb検索を使いこなせるかどうかという話のような気がしてしまう。

ルーマニアのガイドも野良で見つけたわけではなく、ガイドと観光客のマッチングサイトのようなところを通して見つけたものだし、そのガイドのレビューも見ればだいたい大丈夫かは見当がつく。 チュニジアの鉄道だって一等車に乗れば安全性もかなり担保されるということはわかる。 絶対安全とは言わないけれども、よほど運が悪くなければ危険な目に合うようなことはないようにしている。 人に話すときはちょっと盛っているのは否めないが、実はそんなに危ない橋はわたっていない。


チュニジアの話はこちら

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けれども、生まれてから目にする多くの情報をもとに、いろいろなことについて「生まれ持った性別のせいで自分にはできない」と思い込んでしまう人がいる現実がある。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191217/k10012217401000.htmlwww3.nhk.or.jp

こんな国ではあるが、最近は個人レベルの「男らしさ」「女らしさ」の問題であれば、ちょっと勇気があれば乗り越えられるようにはなってきているように思う。相対的に遅れていても、絶対的には寛容な社会になっているだろう。(でも田舎のほうは難しいとかあるんだろうなぁ) 社会的地位の話になってくると、現実かなり厳しい面があるのだろうとは思う。でも自分1人の問題であれば、性別に関係なく活躍できる会社に行くことはできるし、まぁやりようはあるのかもしれない。

こういった問題は、社会のマジョリティがどう考えているかという話だから、いずれ解決可能な話であるだろう。 複雑系の科学みたいな話題になってくるが、生まれ持った性別ががこれらの問題について関係しないものだという認識を持つ人の割合がしきい値を超えれば、社会の大勢としてそちらに傾くようになる。 そうすれば、セクシストの人々は今で言う天動説信者みたいになって、セクシズムは影響力を失っていくだろう。

男よりも女のほうが犯罪に狙われやすい、かというと統計的にはそれを示すデータを見つけられず、こと日本においては逆の結果が出ている。 まぁ、加害者が知人同士なのか見ず知らずなのか分離されていないので、前者において社会的な交流が多い男性の方が被害が多く、無差別のひったくりとかだと違うのかもしれないが。 他の国のデータも、見つかった範囲内だと最初にでた「<僕の名前>は男に生まれてよかったね、女に生まれてたらそんな冒険はできなかったよ笑」を補強するようなものはなかった。 なので、ここからは仮定の話になってくる。

en.wikipedia.org

仮にある地域で仮に「観光客の犯罪被害は女性が男性を有意に上回っている」という結果があったとしたら。 その社会のマイノリティの意見として性差別反対となっていたとしても、もろもろの理由で男よりも女の方を優先して狙おうと考えるものがいる限り、そこには性差が残り続ける。 自分の命がかかっているかもしれないと思ったら、不条理だとは思っていてもそこに女性1人ではいけないだろう。 社会正義も大事だけど、自分の命のほうがもっと大事なわけだから。

犯罪ってもとより法の支配の外にあるものだから、いくら社会制度で外から平等を進めても、その外の話には対処しようがない。 いくら社会制度が男女平等に向かっても、この問題に対しては無力である。 今から人を殺そうと思っている人が、男女平等について考えを巡らせるだろうか。

特に今の日本のような平和な国に住んでいたら、平等は権利のレベルの問題であって、生存権のレベルでは差が存在しないと思ってしまうが実は世界はそうではなく、生まれ持った属性によって生きるか死ぬかすら左右されてしまう世界があるということは、頭の片隅にいれておかないといけないだろう。