ロシア語の話です。
ロシア語には、男性名詞・女性名詞・中性名詞という区分がある。それに対して形容詞とかの形がかわる。(そういえばフランス語もそうだった)
たとえば、
This is my pen.
は
Это моя ручка.
となる。ここで、 my
に対応するのが моя
だ。
一方で、
This is my television.
は
Это мой телевизор.
となる。こちらでは my
に対応するのが мой
となっている。
子音で終わる名詞は男性名詞だが、а
とか я
で終わる名詞は女性名詞となる。
- 作者:黒田 龍之助
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2018/07/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
日本語にはこういう区別がないわけだけれども、ロシア語を母語とする人にとってこの性について間違っているとかってどういうふうに感じるのだろうか。 文法を学んで、間違っているなというのは判別つくようになると思うけれども、ネイティブが誤った組み合わせを聞いたときの感覚がわかるようになるとは思えない。
日本語で名詞が男女どちらかかによって、修飾語が活用するという例は思うにないと思う。そもそもどちらかにしか使われない言葉というのはあるような気がするが、それとはちょっと違う。 性でなければ、「賜う」みたいな最高敬語という存在もあるがこれはちょっと位置づけが違うか。 (逆に敬語の概念がない言語をネイティブにする人にとって、敬語を間違われたときに教科書的には違うなとわかったとしても、それ以上の感覚はないのだろうか。)
そういえば、そもそも英語の三単元の s
とかも意味がわからない。
僕は注意力が足りない方なので、未だにこういうのがとても弱い。(maked とか builded とか普通に受け入れてしまう。)
中国語が共産党の指導のもとで文字が簡略化されたように、ソビエト時代に言語を科学的に合理化しよう!という動きはなかったのだろうか、とも思ったのだが、そもそもソ連国内で言語の統一すらなかったわけで。 小規模な民族は、大きなグループにまとめられたり大きな民族に同化させられたりということになっていたらしいが、逆に言うと大規模な民族に関しては民族としての自立性を持つようになっていたようだ。 レーニンが帝国主義に対して「寄生し腐朽した資本主義」といっているくらいだから、民族の自立性みたいなのがある程度あったのかもしれない。 ソ連の民族政策については何もしらないが…。
というわけで、現時点の進捗状況。
とりあえずアルファベットの音はなんとなくわかってきたので、とりあえず綴が会ったら単語を読むくらいはできるようになった。
его
みたいな例外はあるけれども、英語に比べればスペルと音の乖離は少ないように思う。
ただアルファベットの名前はいまだに覚えていない。