お笑い番組の2大発明について

最近、一番みるべきテレビ番組といえば「有吉の壁」であることには誰も異論はないと思う。 なかでも「一般人の壁」というフォーマットは、発明といっていい面白さだ。

テレビについて

僕は結構テレビには意味はない・くだらないけど面白いというのを求めるタイプで、要するに何も構えずに笑わせてくれるというのが好きな方である。 というわけで、一番好きな番組といえば今でいうとENGEIグランドスラムとかお笑いドリームマッチのような、いわゆる「ネタ番組」である。

※しかし、M-1グランプリとかキングオブコントといった順位を決めるような番組はそんな見ない。単に笑わせてほしいだけなのに、ドラマが出てくるとなんか引いてしまう。

お笑いライブに行くほどではないけれども、テレビでやっていたら録画して見るくらいは好き、という感じ。

好き嫌い

しかし、お笑いって合う合わないがあり、やっぱり合わない人たちのネタをみていてもあまりおもしろいとは感じない。 絶対的につまらないというつもりはないが、たとえば(それぞれタイプは違うけど)ジャルジャルとか野性爆弾のような、わかる人なら面白いよな?というのを強要してくるようなネタのはあまり好きじゃないなぁと感じてしまうし、関西の吉本系の大御所とされるような人たちもだいたい合わない。

大体面白いと思うのは、フォーマット漫才といわれるやつで、ハマカーン(下衆の極みを言っていた頃)、ナイツ(小ボケのやつ)、ハライチ・U字工事あたり。そしてまぁ一番おもしろいと思うのはオードリーかな、と。

ネタ番組の大半の時間は退屈

そういうわけで、好きなタイプのネタを見られるという点でネタ番組は好きなのだが、実は見ている間、かなりの時間は面白さを感じていない。 前述のようにあまり好きじゃないタイプの芸人を見せられている時間はもちろん、だが、司会進行部分も面白い部分ではない。 賞レース番組があまり好きじゃないのも、ネタ以外の時間、紹介VTRやら講評やらが多いのが理由かもしれない。

2時間特番でも、本当に見たい時間というのは実は10~15分くらいしかないのではないかと思う。(テレビで1ネタ5分、好きな組はだいたい2,3組なので)

第一の発明、細かすぎて伝わらないモノマネ

かつては「とんねるずのみなさんのおかげでした」、今ではスピンオフで独立した「細かすぎて伝わらないモノマネ」これは大半の時間は大して面白くないというネタ番組のありかたを変えた。

第1回のみ、伝わらなかったら床が開いて下に落ちるというルールだったが、2回目以降このギミックはネタを途中でぶったぎる舞台装置となった。 お笑いのネタの中ですら、面白い瞬間と面白くない瞬間がある。面白い芸人というのは、面白くない瞬間をいかに感じさせないかということに長けている人たちなのではいかと思う。

芸人になっているくらいだから、「面白くない」芸人であっても瞬間的には面白さをもっている。 しかし、既存のネタ番組のように1ネタをやりきらせてしまうと、その瞬間的な面白さは面白くない時間のなかにポツポツ現れるけれども、印象としてはやっぱり面白くないな、となってしまう。

しかし、この床のおかげで、そのコントロールが自力ではできない芸人であっても、面白い瞬間だけを切り取って見せることができる。

これは芸人にとっても面白いイメージを発信できるし、番組にとっても無名芸人を集めてくるだけなので安価に面白くできるというWinWinの関係を生み出した。

実は、細かすぎて伝わらないモノマネに出ている芸人何組かを生で見たことがあるのだが、落ちないのに同じことをやっていて、これは、、、と思ってしまったことがある。モノマネをやったあと、「続きまして〜…」「以上になります。…どうもありがとうございました〜」。この間が結構いたたまれないと言うか、かなり冷める。舞台装置が違うのに同じことをやってしまっちゃダメじゃないの…と素人ながらに心配になってしまった。

(この落ちるシステムが発明されてから、後追いなので爆笑レッドカーペットというのもあったけれども、あれはやっぱり間延びしているのでだめなパクリだった。)

ピーク・エンドの法則

行動経済学でピーク・エンドの法則というのがあり、人間はある事件についての印象を、その事件のなかでもっとも印象に残る瞬間と、事件の最後の瞬間、この2箇所によって作り上げるということが言われている。

ピークは同じだが、エンドを「間延びして最後冷めたな〜」と思わせるか、「爆笑しているうちに画面から消えた」と思わせるかで、印象が大きく変わるというという理論的な説明ができるだろうか。

第二の発明、「一般人の壁」

細かすぎて伝わらないモノマネのシステムは、多くの芸人の面白さを底上げすることを可能にした代わりに、ストーリーのあるネタを行うことができない。瞬間だけの面白さである。

そこをハックしたのが、有吉の壁の「一般人の壁」だと思う。 舞台装置を共有することで、いわゆる漫才コントの「ネタ振り」をその回の設定にまかせて瞬間だけのネタだけどストーリーのあるネタというのを可能にした。 そして、パーソナリティがあるきまわりながらネタを観覧し、○×でネタをぶった切るというところで細かすぎて伝わらないモノマネで実現した、面白い瞬間だけを切り取るギミックを実現している。

細かすぎて伝わらないモノマネの精神を継ぎ、さらにアップグレードさせてきたか、と膝を打つ工夫だと個人的には思う。

ただし、有吉の壁は比較的名の売れている芸人が多い気がするので、あのフォーマットだったらもっと無名な人たちを混ぜても面白くなるんじゃないかと思う。

YouTubeから一般人の壁は生まれうるか

最近、YouTubeチャンネルを持っている芸人は多いけれども、ここから細かすぎて伝わらないモノマネのフォーマットや一般人の壁のフォーマットは生まれなかっただろうなぁと思う。 芸人に対して、上の立場の制作がいてこそなのではないかなと。