今僕が唯一追いかけている漫画、ハンターxハンター。
途中もうええわ、、、と思って34巻くらいで一回諦めていたのだが、最近また続きを追い始めた。
先日、スーパー銭湯で1時間ほどレストランの呼び出しがあるまで時間を潰す必要があったのだが、その際に漫画コーナーで唯一知っている漫画ということで新しい話を読んだ。 という状態で37巻が発売されたので、読んでみたというわけですね。
改めて最初から読み返してみて、最近のハンターxハンターに抱いていた違和感の正体がわかった。 「念能力」のあり方が変容したことで、「らしさ」が失われつつあるのではないだろうか。
面白いかどうか
ハンターxハンターは、いわゆる「キメラアント編」が終わって以降の「選挙編」・「暗黒大陸編」については自分でも面白いと思って読んでいるのかどうかわからない。 前より面白くなくなった理由はなんなのかと考えていて、「文字が多くなりすぎ」「モブキャラ多すぎ」といったことが言われている。
改めて読み返してみるとハンターxハンターは今までずっと「編」ごとに相当数のモブキャラが出てくる。 しかし、グリードアイランド編まではみんなちゃんとキャラが立っていた(と思う)。
これは個人的な感想になってしまうが、キメラアント編からキャラクター性が弱くなってきている。 シュート・ナックル辺りは登場話数が多い割にグリードアイランドのプーハットとかモタリケ君よりキャラが薄い。
なぜ過去はモブキャラの魅力を描くことができていたのか?というところを考えながら読み返してみた結果、キャラが前より立っていない理由がわかってきた気がする。
ハンターハンターの念能力
念能力の「発」は、生まれつきの適正には縛られつつも自分でこうしたいというのを決められるところが特徴だった。 この点が、持っている能力が与えられるものであるジョジョの奇妙な冒険の「スタンド」とは違う。
というより、あんまり漫画を知らない僕だけどいわゆる「能力バトル」で自分の能力を自分でデザインできるという漫画は他に読んだことがない。
キャラクターを特徴づける発
主要キャラクターたちの発は、おおまかなイメージが決まる際生まれてからの生活環境(キルア)、念能力を使う使命(クラピカ)、なんとなく強そうな必殺技のイメージ(ゴン)といった要素によってそれぞれが形にしていくところが描かれている。
自分のイメージする発を作り上げることがキャラクターの個性を作り出していく。
クロロが「盗賊の極意 スキルハンター」の魅力を語っていたように、発を通してキャラクター性を透けて見させるという演出ができていたわけである。
これら系統の適正とイメージと、もう一つ大事なのがその能力をどう活かしきれるか。 これがハンターハンター世界の駆け引きだった。
モラウ師匠が言うように、最後は自分の能力はどんなシチュエーション・相手でも勝てる、と信じ(思い込み)きれるかだ。
それがうまく描かれていたのがヒソカである。 バンジーガムとドッキリテクスチャーが自分には最適で、これがあれば自分は最強と思う(思い込む)ことができている。
念能力の「スタンド」化
キメラアントあたりからこれが怪しくなってくる。 念能力は他人に発動させられて勝手に発が決定されるというのが当たり前になってきてしまったと思う。
当人の意思やバックグラウンドと関係なく物語の都合で、このタイミングでこういう能力のキャラクターがいた方がいいなという都合だけで決められているような感じがしてならない。
キメラアントだったり、船の中のマフィアだったり。
挙句のはてに、37巻でついに明らかになるツェリードニヒ王子の能力はキングクリムゾン、、、。
※ スタンドは自分で能力を選ぶことができず、与えられた能力を使うことになる。
ジョジョの世界では、スタンドが新たに使えるようになる瞬間が描かれることは少ないのでみんな自分の能力を熟知して戦うことになるのだが、数少ない新たな発現シーンが第四部にある。 康一君に新たに発現したエコーズというスタンド、それが持つ能力がなんなのか最初はわからない。 エコーズが何ができるのか発見していくという、話が激臭あるのだが、その話は能力が勝手に与えられるというスタンドの仕組みをうまく物語に取り入れているなと思った。 自分の能力にどうやって気づいていくのかという、、。
改めてになっちゃうけど、ハンターハンターで外から発を与えられるパターンでいつどうやって自分の能力を知るのか。
キャラクターの凄さをどう見せるか
あと思ったのが、選挙編からキャラクターの頭の良さを見せる演出を「他人の行動を先読みすること」で行う傾向が強いような。
こういうことを言うと冷める話ではあるけど、結局はどのキャラクターも作者が決める行動をして作者が決める言葉を喋らされている。 作者の手心次第で他のキャラクターの行動を読めるのは当たり前なわけだ。
相手の行動を読むに至る道筋が描かれていれば、なるほどそういう手がかりから読めるのか、と納得がいく。 その描写抜きに、「あいつはこうするはずだ」という先読みをしているだけだと、作者が教えてあげてんのかなーと思ってしまう。
創作作品においては伏線を張って回収するなんて作者がやるかやらないかでしかない。
嫌なら見るなと自分に言いたいところだが
損切りできない性格なのかな。。。