Facebook(現Meta)に代表されるVR派に対して、AR派のナイアンティックから異議申し立て的な文章が発表されたことが話題になった。 今から半年弱前、2021年8月のことである。
そのタイトルが、「メタバースはディストピアの悪夢です。より良い現実の構築に焦点を当てましょう。」
ナイアンティックの主張
そこそこ長い文章なので、ビジョン部分についてごくかいつまんで要約してみる。
最近は映画「レディプレイヤーワン」で描かれるような物理世界から人間を逃避させてくれるようなVRメタバースが注目されているけれども、我々はそれはテクノロジーの誤った使い方であると考えている。我々は、物理世界での人々の生活を改善するようなARを実現するためにテクノロジーを使うべきだと考えている。
ということいった感じだろうか。
このビジョンの上で、ナイアンティックは何をしているか、これから何をしようとしているかが後に続いて紹介されている。が、この記事とは関係ないので興味があったら自分で読んでね。
ポケモンGOはARか
この話題をふと思い出して、改めて考えてしまった。 まずいうと、ここで書かれている内容自体には大いに賛成である。
しかし、改めて読んでみると当のナイアンティックが提供しているイングレスやポケモンGOが現実世界を良くするARになっていないことに気づく。
ポケモンGOは現実世界を利用しつつも、拡張しているのではなく本来の現実を覆い隠すようなものとなっている。
あんまり聞いたことない言葉ではあるが、SR(Substitutional Reality:代替現実)という言葉があるらしい。ポケモンGOは言葉的にはARというよりこのSRの方が適切なように思う。
現実世界の建物の情報をランドマークには使いつつも、ポケモンGOは現実世界を拡張するのではなく現実世界をポケモンの仮想世界で覆い隠している。 プレイヤーはポケモンGOの中の「現実世界と同じ地図で表されるポケモン世界」の価値を追い求めている。ポケモンGO現実世界に存在する価値についてアクセスをしやすくしたりそれを整理するような役割を果たしていない。
今は見なくなったけれども、観光地で現実の世界を見ることなくスマホの画面だけを見ている集団のことを覚えているだろうか。
ナイアンティックの奴隷
ポケモンGOのプレイデータは、ARのプラットフォームを提供するためのデータとして活用されている。
ゲーミフィケーションでクラウドソーシングの参加者も楽しくデータを集めるといえば聞こえがいいのだが、ポケモンGO自体は現実世界を覆い隠す非ARである。
ポケモンGOのプレイヤーたちはコンピューターの動力源として生かされるマトリックスの住人たちのように、ナイアンティックのデータのために現実世界を見えなくされて仮想世界の中で生かされている。
私たちをソファから引き剥がし、夕方の散歩や土曜日の公園に出かけるように促す
ことをしているのは確かだけれども、
身の回りにあるのに見落としてしまっている魅力や歴史、美しさを発見することにつながる?
かどうか。もともとの狙いが外れただけなのかもしれないが、現実世界の魅力ではなくポケモンGO世界の魅力で人を動かしているだけじゃないだろうか。
Google的な「善さ」の追求
ナイアンティックといえばGoogleのスピンオフだが、前述の記事に表現されているようなビジョンはGoogle的な「儲けることより、世界を良くしたい(ただしその良さは自分たちが決める)」という思想があらわれているように見える。 ナイアンティックの目指す「より良い現実」の良さはナイアンティックが決めている。
良いものを生み出すには集団の妥協ではなく独裁者の決断が必要だと思うので、独善的だからよくないといういうつもりはないけれども。