LUUP vs Shaero スマートモビリティをためす

シェアモビリティサービスを試してみた。

luup.sc

www.shaero.jp

LUUPのキックボードはけっこうみるようになったけれども、Shaeroの電動バイクは今まで一度も走っているのを見たことがない。

料金の比較

LUUP:ライド基本料金50円(税込)、時間料金1分あたり15円(税込)

Shaero:15分200円。2.5時間を超えると2,000円/24時間乗り放題に自動で切り替わる。また、30DAYSプランという20,000円/30日間乗り放題なるプランもある。

単に料金だけで考えるとLUUPのほうが高いのだが、、実質的にはShaeroのほうが高くなると思う。UXのところを参照。

車体の比較

LUUPのほうは電動キックボードで、最高時速は15km。今は運転免許がいるが、そのうちいらなくなるらしい。

シェアロの電動バイク「Cute-mL」車体のご紹介 |shaero - 移動をシェアするスマートモビリティ

Shaeroは電動バイクで、最高時速は30km。

どちらもスマホが利用に必須ということもありスマホホルダーがついている。 こちらはShaeroのほうがしっかりしていていい感じだ。

乗る前はShaeroのほうが速いし乗り物としていいのかなぁと思っていたのだが結構どっこいどっこい。

LUUPの時速15kmは遅い。自転車より遅い。でもキックボードということもあってゆるせる感がある。 Shaeroは次世代モビリティというよりかはしっかりバイクで、気軽さが思ったほどない。

ステーションの比較

LUUPのほうは単に地面に線が引いてあるだけの場所がステーションとなっている。 電動キックボードがそのまま置かれているので、すぐに乗り出し可能。

自治体ごとの設置数などは公表されていないようだが、自宅近くも会社近くもいくつかあり、体感ではかなり多い。

luup.sc

関西も含めての数字だが、3000ポートを超えているんだそう。

一方のShaeroのステーションはめちゃくちゃ使いづらい。

低い屋根の下に充電機能がついているためケーブルがにいっぱいのびている。ヘルメットも大量にぶら下がっている。(一回使用されるたびに回収消毒しているっぽい) この下からバイクを取り出すのがひとくろう。

バイクは折りたたまれた状態だとナンバーが見えない。選択したバイクの個体を探すのが大変。

どのステーションも基本的には同一の形をしているので全部にあてはまる問題だ。 折りたたみバイクにこだわらないほうがよかったのでは?と思った。

Shaero(シェアロ)- 国内初!折りたたみ電動バイクのシェアリングサービス

ステーション数も数字的にはあまり多くない。

UXの比較

LUUPの優れているところが、返却場所の予約ができること。

LUUPにせよShaeroにせよ返却ステーションは空きがあるステーションを探す必要がある。

Shaeroの場合、返却ステーションを選択してから15分以内に返却を終える必要がある。 なので事前にステーションを決めることができず、いざ自宅近くまで帰ったらステーションがいっぱいで、他のステーションを探しに行くはめになる可能性がある。 いまでこそ利用者が全然いないのでこの問題が顕在化することは少ないだろうが、ShaeroはLUUPよりステーション自体が少ないのでけっこう使う前に心配になる。

LUUPのほうはいつでも返却ステーションの枠をおさえておくことができる。なので返しに行ったら空きがないということは起きない。 (他の空きステーションに返却場所を変えることも自由にできる。)

LUUPのほうはステーションがふんだんにあるということもあり、たとえば上野から浅草まで散歩代わりに乗って浅草のステーションに返却。浅草のステーションからスカイツリーまで乗って押上のステーションに返却。押上からJRの通っている錦糸町まで乗って錦糸町のステーションに返却。といったように移動するときだけ使うということができる。

Shaeroのほうはステーションの充実度的に借りたらその日の用が全部終わるまで借りっぱなしということになるだろうか。(利用開始・返却時の力仕事も大変なので、一日になんどもやる気にはならない)

結果的にLUUPのほうが安くなるんじゃないかと思う。

乗ってみての感想

自転車最強。

というのは置いておいて、、、電車やバスの補完、公共交通の最寄り駅が遠いところにちょっと乗りたいという用途だと、LUUPの時速15kmで十分なんだろうなぁという気がした。

Shaeroのバイクは、車に積んでどこかに遊びに行くとかなら楽しそうなバイクだが都市部のシェアモビリティには向いてないんじゃないか?と思った。 折り畳めることがシェアモビリティにあまり寄与していない感がある。