マルタからヤルタへ ~ベルリンで東ドイツの生活を覗き見る

先週、マルタの数少ない祝日を利用してドイツにいってきた。


2019年のマルタ短期留学に関する記事はこちら↓

www.k5trismegistus.me


弾丸スケジュールだったので、もっとも行きたかったベルリンにあまり滞在できなかったのだが、その中で最高だったのがここ。

https://www.ddr-museum.de/en

DDRとはDeutsche Demokratische Republik(ドイツ民主共和国)の略で、東ドイツ時代の主に民衆の生活にフォーカスした博物館である。

規模はそれほどでかくないんだけれども、展示は凝っている。なかでもトラバントのドライブシミュレーターはすごかった。


Trabi-Simulator im DDR-Museum

これまでもプラハやブダペストでも共産主義政権時代に関する博物館を訪れているが、この博物館でなぜ旧東側の世界に惹かれるのかわかった気がする。

kgbmuseum.com

www.terrorhaza.hu

など。

一つの理由としては「エロイカより愛をこめて」という漫画をずっと読んでいて、東西冷戦のスパイ物語にロマンを感じるというのは間違いなくあるわけだけれども、結局のところ人間の努力みたいなのに感動するのかもしれない。

エロイカより愛をこめて 1

エロイカより愛をこめて 1

↑ごり押しディックが好き

西側の国では、努力して結果を残せばリターンが得られる。でも東側ではよっっっっぽどのことがない限り報われることはない。それでも、いいものを作ろうということを考えていた人がいるんだなぁというところに感動するのかもしれない。 プロジェクトXを見て感動するのとはちょっと違って、「報われないのに」というところあポイントなんだと思う。

特に子供用のおもちゃとか見ると感慨深くて、人間性の抑圧とほぼイコールで結び付けられてしまうような共産主義の時代にも親子の情愛は存在していたんだなぁと感じてしまう。

今やベルリン土産の定番となったアンペルマンも同じで、信号機なんて無味乾燥にしようと思えばいくらでもできるわけで、そこにちょっとコミカルなキャラクターをつけてみようという発想が出るのが人間の可能性を感じさせる。

http://stat.ameba.jp/user_images/20101106/13/morikawa-shijokai/42/25/j/o0425029410843296116.jpg


現在同じフラットに50歳くらいのロシア人歯科医のおじさんが住んでいるのだが、先日学校のイベントでボヘミアン・ラプソディ上映会があったときに「Queenっていつ知ったの?」と聞いてみた。 当然、ソ連崩壊後だと思っていたんだけれども、答えは意外にも活動当時から知っていたということだった。

ボヘミアン・ラプソディ 2枚組ブルーレイ&DVD [Blu-ray]

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Queen意外にもビートルズもローリングストーンズも知っていたとのこと。

どうやって知り得たのかという話が面白かった。

一部の特権階級である党幹部の子息(ゴールデンボーイ/ゴールデンガールと呼ばれていたらしい。ロシア語で何ていうかは聞かなかったけど)が西側に旅行してレコードを持ち込み仲間内でテープにコピーする。それをまたさらにコピーして…という感じで、みんな聞いていたらしい。 当然公共のラジオでかかったりはしないけれども、聞くこと自体が違法だとかではなかったらしい。とはいえ、こんな地下出版みたいなのって創作物の世界でしか知らなかったので、実際に経験したという話を聞いて驚いてしまった。

そこから派生して、昔話をいろいろ聞いていたんだけれども、その人は基本的にソ連時代をそれほど悪くは思っていないようだった。

豊かにはなれない分、みんな欲がそれほどなくて平和だったとか、一部の特権階級が私服を肥やしていたのは知っているが今の貧富の格差ほどじゃないとか…。

その話をしているときの表情がとても印象的で、やっぱり自分が子供時代を過ごした国がなくなってしまったこととか、それがあたかも100%間違った存在だったと言われることについて思うことがあるのかもしれない。

もっとも聞きたかった、ソ連が崩壊したときに何を思ったかという質問に対してはよく覚えていないということだった。90年代は生活していくためにとにかく働かないといけなくてものを考えている暇がなかったということだった。 プロパガンダが嘘だったことについても、責める相手もいなくなってしまったんだからあまり気にしてなかったとか。(これはその人がドライなだけなような気もするが……。)

今や共産主義といったら映画の中にしか出てこないけれども、自分が生まれるほんの少し前まで確かに世界に存在していて、そこで生きていた人々が存在していたということを体感した。