環世界と言葉の学習、語り得ないものについて

ある夏の夜、あなたは沼のほとりを歩いていた。ここ数日、夜になると急に雨が降り始めることが多かったが、どうやら今日も降りそうだ。 予感は的中し、急に天でバケツをひっくり返したような雨が降り始める。急いで帰らないと、、、。 そんなことを思った瞬間、不運にも雷があなたに直撃してしまう。雨に濡れていたこともあり、あなたは即死してしまう。

次の瞬間、別の雷が沼に落ちた。沼にはタンパク質や脂肪が含まれており、不思議なことに雷がそれらを再構成し死の直前のあなたと全く同じ分子の配置の物体を作り上げてしまった。 その物体は、脳の状態まで死の直前のあなたとそっくり同じ。なので当然死の直前のあなたと同じ記憶や意思を持っている。ああ、急いで帰らなければ、、、。沼から生まれた物体は、あなたの家へと駆け出すのであった。

スワンプマン

スワンプマンという思考実験がある。トランプマンではない。

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冒頭で書いたような事態が起きた場合、果たして沼から生まれた物体はあなたと「同じ」人であると言えるのかどうかという問題だ。

なぞなぞではないので答えがあるわけではない。いろんな立場から同じだ、いや同じでないという意見がある。 普段何気なく「同じ」という言葉を使っているけれども、その「同じ」とはどういうことなのかということを突き詰めて考えると、同じ「同じ」という言葉を使いつつも人によってズレがある。

言葉を学ぶ感覚機関の限界

人間が言葉を学ぶと言っても、「大きい」「重い」のような基本的な語彙を子供の頃に学ぶのと、「サピア・ウォーフ仮説」のような言葉を辞書・辞典で調べ、他の語彙を使って学ぶのとでは大きな違いがある。 「同じ」というのは基本的な語彙の範疇になるだろう。

人が「同じ」という言葉を学ぶ時は、他の人間が人間のサイズスケール・人間のタイムスケールにおいてある物体や生物を時間差で示唆しながら「同じ」という言葉を使っているところを見ながら、「同じ」という言葉の使われるユースケースを経験として蓄積しながらその類似性の中で「同じ」という語彙の意味を理解していくのだと思う。

例えば人間の細胞は今この瞬間も新陳代謝を起こしているが、人間の視覚の解像度ではそもそも見えないし、仮に見えたとしてもゆっくりとした変化にはなかなか気付かない。 だから、普段はナイーブに昨日会った人と今日会った人が「同じ」と言えてしまう。

基本語彙がこのような曖昧性の上で分かった気になっていたのだとすれば、それらの組み合わせで説明される辞書や辞典で学ぶ言葉もあまり確固たる土台がないと言える。

人間の言葉というのが、そもそも人間の五感の解像度や量・時間といった部分に規定されていると言えるだろう。 人間が感覚できる世界はうまく記述できるけれども、分子生物学、さらには量子力学のようなミクロな世界や地学や宇宙化学のようなロングスケールの世界、超越数の表記のような無限の世界は、そもそもツールとして足りていないのではないかと思った。

原子の世界に言葉があったら

原子といえば、原子核の周りを電子が惑星のようにくるくる回っている図をみることがある。

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しかし、この模式は古典力学の世界に生きる人間向けのわかりやすい表現にすぎない。 実際には電子の位置というのは確定できず、この辺にある確率は●%というような表現しかできない。(というか、●%はそこにあるということなのだろうか。)

メルヘンな話だが、陽子や電子が意識を持っていたとしたら。逆に電子にとっては、自分の位置が確定できるという事態が理解できず、むしろ物質と波が別れているという事態を記述できる言語を持たないのではないだろうか。

そこにはきっと我々のいう「同じ」という言葉も存在しないだろう。そもそも電子というのは外見で区別をすることができない。物体としては全く「同じ」なわけだ。 惑星のようにくるくる回る絵のように、古典力学的な運動をしているのであれば運動をずっと目で追っていればさっきと同じ電子はどっちというのを言うことはできる。でも、それができないので、この電子はさっきと同じ電子という経験がそもそもできない。

人間の言葉は人間の環世界を記述する言語

人間は、機械の力によって自分の感覚器官では経験できない物事を多く知ることができるようになった。しかし、人間の言葉は人間の感覚器官でできる経験をもってしか学ぶことができない。 ということから、人間の言葉というのは人間の環世界を記述するための言語でしかない、ということなのだと思った。

先程のスワンプマンの例は「雷」を持ち出したから荒唐無稽な話に聞こえる。あり得ない話について語ってどうするの、と。 将来3Dプリンターが超絶進化して原子を一個一個並べられるようになったら、ということを考えると、あながち考えなくても良い話にはならない。

しかし、この思考実験に答えが出ないのは人間の言葉がそもそも古典力学の世界の経験をもとにした体系で、そこで使われる「同じ」という言葉を量子力学の世界に無理やり当て嵌めているのが原因なのではないだろうか。