SDGsと資本主義 「資本主義こそが究極の革命である 市場から社会を変えるイノベーターたち」を読んで

図書館で読んだ本が面白かったので。

「資本主義こそが究極の革命である 市場から社会を変えるイノベーターたち」。

編者の宇野常寛という人は、たまに朝のワイドショーに出ていたかな?ということくらいしか知らないのだが、Amazonレビューによれば資本主義の力で世界を変えるという発想が重要だというところが持論であるようだ。

SDGsはDが大事

最近巷を騒がせるSDGsだが、日本でのSDGsの取り上げられ方をみるとどうもSDGsのSつまり「Sustainable」の方にしか目が行っていないのではないかと感じることが多い。

newswitch.jp

京都市長はこんな自信満々にインタビューに答えているが、

www.asahi.co.jp

残念ながら京都市の財政の持続可能性は危機的な状況にある。(主要因がバブル期に作った地下鉄らしいので、この市長が悪いとは言わないが、、漆塗りのエレベーターだとか)

一応

周遊するので買い物にもつながる

というコメントもあるので、間接的には税収が増えることも言及しているのかもしれないが、SDGsのポイントを捉え違えているのでは?という気がする。

SDGsは、単に「持続可能」であろうという話ではない。持続可能な「発展・成長」をしようという話である。 これがなぜかといえば、結局のところ環境・防災・人権保護などなど社会の持続可能性を高めようという活動自体が儲からないと持続可能ではないからだ。

環境のことを考えよう、防災対策しよう、恵まれない環境にある人に手を差し伸べよう・・・これらを善意に頼って行うのは難しい。人は熱しやすく冷めやすいのだ。 ウクライナ情勢もテレビのニュースで取り扱われる時間はどんどん減って(体感)おり、特に上島竜兵さん死去で一気に話題性としては持っていかれた感がある。

社会を変えたいと思ったとして、その活動に人を動かし続けるには結局金が必要なのである。

変えるための活動を行う人たちにも生活があるのは当たり前。 優秀な人に社会的に有意義ではないけど高給の仕事(何とは言わない)を選ばないで、一緒に社会を変えようよと振り向いてもらうためには、社会的な意義だけでなくある程度の収入を提示できるのは当たり前だろう。

非常に優秀で年収1500万円もらっているが、「正直今の仕事になんの意味があるのかわからなくなっている」けど人に対して、年収100万円になっちゃうけど難民支援の取り組みやりませんか?と言ってもなかな厳しいのではないだろうか。でも、年収600万円は出ますよ、だったらかなり話は変わってくるだろうと思う。

グラミン銀行の試みを始めて中学校の社会科で習った時は、貧しい人に金貸しして利息を取って利益を出しているなんて、そりゃ貧困ビジネスなんじゃないか?と思った。 でも大人になった今になって、利益がないと誰もついてこないので、ちゃんと利益を出すことを考えない方がいつ取り組みが頓挫するかわからなくて無責任なんだな、ということがわかった。

資本主義がなぜ世界を変えるのか

資本主義にはいろいろな側面があるが、一つとして労働力を含む自分の資産を、切り出して他人に預けることができるような制度があることというのは重要に思う。

株主としての権利が法律に書かれており行政機関がそれを守ってくれる。だから安心して他人の会社に投資できる。 同じように、(ブラック企業というのもあるが)労働者の権利が守られるから安心して労働力を提供することができる。 また、その提供先は外から強制されるものでもなく自分の意志である程度自由がきく。

優れたアイディアを持つ人のもとには金や労働力が集まり、アイディアが多少形になる。それがアイディア止まりではなく実際にうまくいきそうとなれば、さらに多くの金や労働力が集まってきて、より広く社会に影響を与えていくことになる。

資本主義がこれまでよりも大きなイノベーションを生み出せるのは、優れた頭を持っている人が金や手を集めることを可能にしたからなのかなと思った。

余談

本の中に出てくる人たちの多くはリクルート出身である。

リクルートは営業の会社ということで有名だが、この本にのちに取り上げられるような人たちが描いたビジョンを形にするために実際に客やパートナーを連れて来られる営業ソルジャーがたくさんいたから、アイディアを形にする手と金の集め方を学べる環境だったんじゃないかと思った。

自分も今は一応経営者の端くれなわけだけれども、ビジネスアイディアってあんまり価値がなくてどう顧客と出会って、誰が実際に価値提供をするのかという方が結局大事なんだなと痛感している。