下書きの中に、似たような話題を扱った2記事があったので一緒にしてみた。
どちらもWeb2.0的な、ユーザーの活動によって情報が整理されていくプラットフォームについて懐疑的な話を書こうとしていたのだが、落とし所がなくて放置されていたものである。
東浩紀氏らが発行している「思想地図」のなかで紹介されているシンポジウムの記録を読み、ブレークスルーとなったので復活させてみた。
裏切られた革命
「シェア <共有>からビジネスを生み出す新戦略」という本を読んでいる。
日本語版が出版されたのは2010年で、スマートフォンの本格普及前夜、UberやAirbnbが生まれて注目を浴び始めた頃である。
この本のタイトルになっている「シェア」は、シェアリングエコノミーとかでいうところの”モノ”を共有するという「シェア」と、デジタルコンテンツをSNSで取り上げる「シェア」両方にかかっている。 それぞれ違う現象ではあるが、同じ「シェア」と呼ばれる行為が同じ時期に流行り始めたという点では一緒に扱っても良いじゃんということなのだろうか?
さて、この本の中ではSNSのような新しい時代のメディアが、アルカイダへの対抗に使われているという逸話が紹介される。 アルカイダがテレビやラジオといった支配下に置いているマスメディアを使って喧伝するプロパガンダに対して、SNSで人々が真実の情報を手に入れている、的な話。
「中東の春」というのがあったのを覚えているだろうか。あれもTwitterやFacebookによって人々が団結した結果起きた現象と言われているが、その結果はご存知の通りシリア内戦であり、イスラム国の台頭である。
SNSに早くから触れた人たちはリテラシーが高かったのかも知れないけど、結局のところSNSが広く使われるようになるとリテラシーの低い人たちにまで普及する。 実は旧来のマスメディアより、SNSの方がプロパガンダも普及させやすく社会の分断を広める効果を持っていました、という話だ。
今になって思うとSNSが真実を広める力を持っていたわけではなく、アラブ諸国でSNSに早くから触れるような人たちが西側的な価値観を持っていただけということのように思う。
情報を整理することが正義なのか
僕はローカルガイドとしてGoogle マップでお店情報を追加していくことが趣味なわけだけれども、Google マップの「レビュー」という仕組みには実はあまり良く思っていない。
Google マップに限らずレビューの仕組みをもつサービスは、あたかもレビュー対象に対する人々の総意であるかのように自分達の集めたレビューを表示する。 このせいで特にレビュー数が少ないうちは、ユーザーの言いがかりみたいなものがその店の「みんなの評価」みたいに見えてしまう。
見た中で特にひどくて記憶に残っているのが、あるお弁当屋さんについていたレビュー。 「子供の頃はこの辺に公園があって遊んでいたけど、なくなってしまった」で、星2つ。 その弁当屋は全く関係ない。 これがそのお弁当屋さんについている唯一のレビューなので、総評としても星2つの店ということになる。
わざわざ星2つの店の詳細を見る人は少ないだろうし、星2つが頓珍漢な理由でつけられたものであることに気づく人は少ない。 このわけのわからないレビューのせいで、GoogleMapではそこは単に「星2つの店」である。
食べログもたまに訴訟を起こされているが、レビュー制度をもつプラットフォームは結構暴力性を持っていると思う。 そしてプラットフォーマー側は、それらのレビューをあたかも社会全体の評価であるように演出しながら中身については「あくまでユーザーの書いたことですから」で逃げられる。
場所に限らず、Amazonの商品レビューもそうだ。
2ちゃんねるの良さ
といったような2つの記事が、結論がうまく出ないまま下書きに残っていたのだが、ブレイクスルーがあったのでがっちゃんこして復活させてみた。
このブログでも「環境管理型権力」といったワードが何回か登場しているが、
関連しそうな本を借りてみた。「思想地図 Vol.3 アーキテクチャ」
読んだ感想としては、東浩紀氏が「アーキテクチャ」という言葉に込めた思いをちゃんと伝えないままシンポジウムなり寄稿を集めているのでは?と思う。 特に巻頭のシンポジウムはアーキテクチャという語でそれぞれの人が思うことをしゃべっているだけ。それぞれの人が面白い話を持っているので、それぞれの人の話には面白い部分もあるのだが、全体を通して失敗している。
ただ、上で紹介した書きかけ2記事に対するブレークスルーは与えてくれた。
巻頭シンポジウムの中で、2ちゃんねるの特異性というものが紹介される。
ひろゆき氏は直感で「コミュニティを作ると個人が意識され、発言力のある人に依存してしまう。そういった人がいなくなるとコミュニティ自体崩壊してしまうので寿命が短くなる。なので匿名掲示板ということにして、人の入れ替わりを気づかれないようにした方が良い」と思ったんだそうな。
2ちゃんねるの匿名性のもう一個のいいところがあるかなと思った。2ちゃんねるは最初からイメージが「便所の落書き」なので、2ちゃんねるに何を書かれていようが世の中の総意っぽさが全然ない。(ただここは個人個人の感じ方だろうか?決して少ないくない人は2ちゃんねるまとめブログから"真実"を見つけているな。)
インフルエンサーなんてものはいなくて、全てが疑わしい情報だからこそ、食べログやAmazonで星1つをつけられるほどの暴力性はない。
インターネットがあらゆる情報を整理しすぎない方が、平和なんだろうな、ということを思い始めた。