人生が変わった瞬間:小学生の頃の引越し

今週のお題「人生変わった瞬間」

人生が変わった瞬間といえば、小学校の途中で経験した引っ越し。

引越しの顛末

小学校5年生まで、千葉県の船橋市というところに住んでいた。

しかし突然父親の転勤の影響で、大阪に通えるどこかに引っ越すことになった。 このときに両親が選んだのが、兵庫の西宮市、駅で言えば阪急の西宮北口である。

両親が初めての関西の住まいを西宮市中屋町の「クインベルQB」にした瞬間が僕の人生にとって人生を変えた瞬間となったと思う。

阪神間のお受験文化

最近では関東でも中学受験の熱がたかまっていると思うのだが、僕がそれまで通っていた千葉の小学校では中学受験は違う世界の話だった。 筑駒とか麻布、みたいなところにでも行けない限り、高い授業料を払う意味はないんじゃない?という意識があるのだと思う。

一方で、阪神間と呼ばれる地域は当時からお受験熱が高く、特に西宮北口は日本でも有数のお受験エリアだそうだ。

背景としては阪神間エリアは階級意識が強いようで、中間階級のおうちは子供を労働者階級の子供と一緒の学校に通わせるのが嫌、みたいなことを考えていたんだと思う。

あんまり、こういう言い方はどうかとも思うけれども、学力という観点ではわざわざ行く意味がなさそうな、、私立中学を受けるという人もたくさんいた。

初めて受ける模試

当時の僕は塾に通っていたわけでもなく、両親としてもちょっと学校の成績はいい子だね、くらいの認識しかなかったと思う。

僕として、なんか、自分より頭が悪そうな奴が塾に通っていて模試を受けたというだけで「俺はXX中行けるくらいなんだぞ」と威張っているのがシャクだったのか、、それともただまわりに影響されただけなのか、塾に行ってみたい、ということを、親にいってみた。

東京にもどることが前提で関西でお受験をすることは考えてないということもあり、ちょっとゆるめの塾、開進館という塾に通うことになった。

www.kaishinkan.net

将来につながる学力はもちろん、自ら学ぶ楽しさを知り、中学進学後も力を発揮できる学習習慣が身につくよう指導します。 子どもの成長や学習する内容に合わせて、無理なく、無駄なく、学力を養成していく設定となっており、公立人気高・難関国私立高合格への土台作りを行います。

というのがこの塾のコンセプトである。

転校先で通い始めた小学校は集団登校という制度があり、僕の登校班には一人だけ同じ学年の人がいた。

彼は進学館という、開進館と同じグループの中学受験用の塾に通っていた。そして、そのなかでそこそこの成績だったらしい。 僕が開進館のほうに通い始めたということを知ると、ちょっと下に見るような態度を取り始めていた。

進学館と開進館は年に何回か、共通の模擬試験を受けることになっていた。その機会に僕も中学受験組と同じ共通の模試を受けることになる。 通いはじめてから何ヶ月か経った頃だと思うが、その結果はその彼を軽く捻るような結果だった。

今振り返ると、さっきの彼に対してこれまでの仕返しだとばかりにそのアピールしていそうに思う。 元々そんなにソリが合うタイプでもなかったけど、いつのまにか同じ登校班でもひとことも口をきかないような関係になっていた😣

初めての模試が返ってきてから

それまで僕は学校のテストしかうけたこともなく、決してクラスで一番テストの成績がいいというわけでもなかった。 うちの両親的にもクラスで上から2,3番目くらいの成績が取れる程度の出来だという認識しかなかったと思う。

けど、初めて受けた「模試」で、もしお受験したらそこそこいいところにいけるくらいのポテンシャルがあるということが今風に言えばバレた。それから教育に対してかけてくれる投資が増えたように思う。

中学に進むときには、「東京に戻ったら桐朋高校くらい行けたらいいねえ」となり(両親ともに多摩の方に長く住んでいたので)Z会の通信教育をはじめる。 中学2年で通いはじめた京都の塾では、個人塾でもあったので色々目をかけてもらった。 そして東京に戻ってきてから通いはじめた塾では何回か塾内模試で学年トップも取れるくらいに。

https://www.ichishin.co.jp/lp/pass-record/jhs/2022_kokushiritu.html

今市進学院って開成3人しか受かってないんですねぇ。僕のときは、僕含めて1教室から3人合格していたくらいなのに。

早めに可能性に気づいたのが人生を変えたきっかけ

とまぁ、自分で言うのもだがまあまあな成績だったと思うのだが、小学校5年生の時に模試を受けていなかったら、その分鍛えられはじめられるのも遅れて今までの成果は出せなかったんじゃないかと思う。

小学校の時に、自分の適正に気づくきっかけがあったと言うのが自分の人生を変えるきっかけになっていたと思う。 まだそれが良かったと言い切れるほど、学校で得たものを社会に還元できているとは言えないんだけど。 結局どれだけお勉強ができていたとしても、それが社会にインパクトとして出せないのなら、あんまり意味はないし。

両親について言えば、機会は与えてくれるけど口は出さない教育方針だったのもありがたかったなと思う。 高3の夏、勉強してるふりをしてガンプラを作っていたときはさすがに呆れられたけど、呆れられただけで勉強しなさいとは言われなかった。

夏休みにガンプラ作りに熱中していながら、現役では東大以外はどうせ行かないんだから受けるつもりはないとか、塾なんか行ってもしょうがないからもう行かないとかわがままをいって心配かけたなと思う。 一応塾に行きたくないと言ったのは、塾の授業中ずっと授業を聞かずに他のことを考えていることに気づいて、授業料を払ってもらっているのがあまりにも申し訳なくなったからなのだけれども。