羽生善治将棋連盟会長講演「AIは将棋の世界をどう変えたか」を聞いてきた 学士会将棋会100周年記念

このブログでも取り上げたかもしれないけど、僕は学士会というのに入っている。 その学士会の中にある将棋サークルが創立100周年ということで記念講演会があった。

「AIは将棋の世界をどう変えたか」というテーマだった。

僕は将棋は駒の動かし方がかろうじてわかるレベルでしかないのだが、ミーハー的に聞きに行ってきた。

羽生さんの講演会と、羽生さんと将棋AI開発者を交えたパネルディスカッションの二部構成だった。

パネルディスカッションは松原仁コンピュータ将棋協会会長、現役棋士でAI研究の博士課程学生でもある谷合四段。

将棋とAIの現状

数年前に電王戦とかやっていたけれども、もはや将棋については人間はソフトにはほぼ絶対勝てない領域まで進んでいるという。

AlphaGoとか話題になったけれども、今のAIは将棋のルールというものを教えず大量の棋譜をデータ入力して強化学習させルールから学習させるようなこともできている(食わせるデータによって、同じアルゴリズムでチェスも将棋もなんでも汎用的に強いAIが作れる)

講演会・パネルディスカッションのメモ

羽生さんの講演会から

将棋では一つの盤面において選択肢は80通りほどある。その中から人間の棋士は「直感」によって2,3手だけを検討対象にする。 なのでN手先まで「先読み」するとすると、3のN乗のシナリオがある。 「10手先まで読む」とすると役6万通りのシナリオがあることになる。

将棋の棋士がいかに天才だったとしても人間はこんな数は読みきれず、その際には「大局観」、相手はどんな戦略を取ろうとしているのか・それに対して自分はどう戦略を取るべきかという個別の手よりも抽象化したレベルで考えている。

現代はともかく、数年前人間の棋士とソフトが拮抗していた頃ですら、機械は人間の数万倍のスピードで手を読むことができていた。なのに人間がいい勝負をできていた理由はこの大局観が人間にはあってソフトにはなかったから。 ソフトは、前の手番の時の記憶を持たずに、その時の盤面だけを見て取り得る手の選択肢を評価して数値化する。 一方の人間は、相手の意図がこうだったらこの盤面はこういう評価だが、そうでなくこうだったらこの評価、というふうに大局観と盤面の組み合わせで評価ができる。(という理解をしたんだけど間違っているかも) 今のソフトは大局観のようなものも持ち始めている。

棋譜を見て人間の将棋かAIの将棋かというのは判断できて、AIの将棋は確かに勝てる常に「最善」の手なのだが、攻める手の次に守りの手を指しているような打ち方になるのだという。人間は、前の手で攻めの一手を指したら次の手も最善の手ではなかったとしても攻めを続ける手を差すようなことが多い。

AIが棋士をこえ始めたときは、自分たちがこれまでやってきた将棋とは全然違う戦法を見つけられ、将棋数百年の蓄積が否定されるのが怖かった。でも蓋を開けてみると、これまでの将棋の蓄積の延長に行っているようで、我々がやってきたことが間違っていなかったっぽいのは良かった。

今のところは将棋はAIとうまくやれている。これまでは自分も強い人でしか将棋中継を見てもどっちがいい状況なのかさっぱりわからないというハードルの高い趣味だったが、今は中継時にAIがどっちが優勢かを数字で表してくれて、将棋はわからないけど棋士のファンとして応援するみたいな新しい需要のされ方もできた。 また、強くなる上でも人間の恐怖心(実は良い手なんだけれども、指すのが怖い手というのがあるそう)などをあぶり出して、無意識に避けてしまっている戦略があることを自覚するようなことができている。

ソフトの方が強い時代、人間のプロ棋士の価値はなんなのか?と問われることもあるが、実はソフトの方が強いとか関係なくプロ棋士の価値というのは伝統にあぐらをかかず考えなければいけない問題だったはず。ソフトは改めてそれを棋士たちに教えてくれた。

将棋連盟としても、将棋だけやっていればいいというものではないと思っていて将棋をきっかけとした地域の活性化に取り組んだり、子どもたちに居場所を作ったりといった活動をやっている。

パネルディスカッションより

思ったより「将棋」で、カクガワリとか戦法らしいワードが飛び交っていてあんまり理解できなかった。。。

ただ一つメモすると、羽生さんは人間の棋士とAIの違いについて強さとは別に面白さというのを導入しており、

見ていて面白い将棋というのはやはり思いが指し手から見えてくるような将棋だと思う。 思いが見えたらその棋士のことももっと魅力が伝わるだろう。

で、将棋連盟の会長としては藤井棋士ブームで「ファン」は増えているけど将棋を実際にやる人の裾野拡大をミッションに持っている。 これまで将棋というのはどうしても周りに教えられる人がいないとできない趣味で、そこをAIで変えられないか。 とにかく強い将棋AIを作ってもらうのもいいけれども、将棋を広めていくために相手の「思い」を感じられるような面白い将棋をしてくれるソフトがあると、周りに将棋ができる人がいなくても将棋の面白さを体感してもらう機会が増えるんじゃないだろうか、、。

と、隣にいる開発者の人たちに対して促しているように聞こえた。

意外だったこと

将棋の棋士の方って失礼ながら話はあまり上手じゃないイメージがあったんだけど、そうでもないというかむしろものすごい話が上手だった。 また、将棋の裾野を広げるようなことにも活動をしているようで、自分が強くなればいいみたいに「将棋に全振り」しているわけじゃないんだなぁと思った。 将棋自体の活性化や、将棋が強いことって社会的にはどんな意味があるのか?というところも含めて色々考えていた。