5年ぶりの免許更新だったが、今回は残念ながらブルー免許。 というわけで、1時間の講習を受けてきた。
現代日本の交通事故
2022年の東京都の交通事故死者数は132人で、過去最小を更新したのだという。 講習では日本全国の数には触れられなかったが、調べると2610人だった。
過去最多は1970年、16,765人だったそうなのでそれと比べるとだいぶ少なくはなっている。 でもやっぱり、これが当たり前になっているのは不思議な気がする。
経路依存性を疑う
今の人口の多くは、物心ついた時から自動車が身近にあるのが当たり前な一方、もっと交通事故が多かった時代を知っている。 なので
これがたとえば、来年スマートフォンが年間30万個爆発して(30万は2022年の交通事故発生数)2500人が死亡したとしたら、どうだろうか。 この数字が出てから数日はトップニュースになるような大事件になるだろう。
僕個人、今自動車はローンも税金も高速代も高いなとは思うけれども、社会のことを考えたらもっと高くしたほうがいいように思う。 直後はやっぱり田舎の生活とか大変になるとは思うけど、長期的にまちづくりのあり方含めて少なくとも都市部ではより自家用車に厳しくしていく方がいいだろうなぁと思う。
そもそもパワフル・でかい・速い車がかっこいいと持て囃すのをやめよう
実は僕は、元々あんまり自動車に興味がなかった。
自動車というものは、基本的により良い商品はよりパワフルで、デカくて、速くなければならないという、マスキュリニティが支配する世界だ。
そういう世界って、際限がなくていつまで経っても上が見えて決して満足はできないようになっている。 腕時計やら宝飾品と同じようなものだ。
ただ腕時計や宝飾品の場合は紛争ダイヤモンドとかそういう問題はあるかもしれないが、高い腕時計をしている人がいると迷惑になることは少ない。 けど自動車の場合、デカくて速い車は小さくて遅い車より危ない。エゴのせいでより殺傷能力が強いものが街中を走りまわって周りに迷惑をかけているわけだ。
本来の生まれた理由とは違って、、、迫害で国を追われる恐れがない人が高級時計や宝石を買ってみたり、大した写真も撮らないのにライカのカメラを買ってみたり、大して寒いところに住んでいるわけでもないのに毛皮やモンクレールのダウンを買ったり。 これらは周りからしたら鼻にはつくかもしれないが、危険はない。
でも自動車はそれじゃいけないんじゃない?と思う。 少なくとも日本国内の道路を走るために売られる自動車は、日本国内の道路の最高速度以上出せないようにすべきではなかろうか。
その点で、FIAT 500のようなパワーがなくて小さくて遅いんだけれどもエモーショナルな価値があるというのに出会えたのはよかった。
またマツダのロードスターも実は同じ路線だと思った。知り合いに何回か乗せてもらったのだが、スペック的にはパワーもないし速くもない。けど、速さによって得られる快感を他のスポーツカーより遅い速度でも感じられるようにセッティングになっているんじゃないかと思う。
反対に社長自らモータースポーツに熱をあげている様子をCMで見せてくるトヨタなんかはマスキュリニティ路線でいくんだろうなぁと思う。
EVシフトに期待
とはいえ僕は社会主義者ではないので、国が規制すべきだとまでは言わない。 ただ、新しい時代の価値観を訴えかけるメーカーがもっと出てきてもいいのでは?と思う。
SDGs的な考え方で、ハイブランドからも脱リアルファーの動きが生まれている。 毛皮製品も宝飾品に近いようなものだったが、身につけていることがダサい(というより露悪趣味?)だという風潮が少しずつだろうができている。
デカくて速い車を乗り回すような人間はダサくないですか?という問題提起を、これからの時代のEVメーカーは訴求していくべきではないだろうか。
テスラなんかはまぁ旧来の車観からみても「いい車」をEVでも作れるんだぞということを示しているが、「いい車」とはなんなのか?という価値観のアップデートはしていない。 マーケティングとして、ポルシェ911より加速がいいとかなんとか。 そんなものを街中で走らせるなと思う。
乗っている人を快適にするだけでなくて、街の交通網の一部としての調和、というところにもっと光が当てられるべきではないだろうか。