前記事に続いて、ガンダム関連。
ガンダムシリーズは、日本のアニメ史に大きな影響を与えた作品だが、その監督を務めた富野由悠季氏がガンダムにどのようなメッセージを伝えたかったのか。今回は、富野由悠季氏がガンダムで伝えたかったことについて、考察してみた。
なお、僕は別に富野信者ではないのでそのメッセージが素晴らしいものだと全肯定するつもりはない。
反戦主義者がなぜ子ども向けアニメで戦争を描くのか
まずこれからの話の前提となるのは、富野監督は幼少期に第二次世界大戦を経験しており、反戦主義者であるということ。 なぜそんな人がガンダムを作ったのか。
この記事に出てくる中学時代の同級生T君は、宮崎駿の雑想ノートというのを持っていた。
この本の中に書いてあったか、この本について語るインタビュー記事で見たのか記憶は定かではないが、同じく反戦主義者で知られる宮崎駿監督が「戦争は悪だが、戦争のために作られた機会である戦闘機や戦車は文句なしに格好がいい」といったことを語っているのを見た。
一方の富野監督は「かっこいいなんてことなんて一切ない」と言葉ではいう。 しかし多くの人がかっこいいと認めるモビルスーツの原案を描いて登場させてきたというのは、架空のものとはいえ戦争の道具を「かっこよく」描いている自覚はあるだろうと思う。
アニメ界は(女子高生による戦車を用いた武道を描く)「ガールズ&パンツァー」や(軍艦を少女に見立てた)「艦これ(艦隊これくしょん)」のような物語が出てくるようになった。エンタメだからと認めている部分もあるが、これでいいのかとも思う。われわれの世代としては「戦争はそんなふうに扱うものではないのでは」という気がして、気持ちがいいものではない。 中略 ミリタリー(軍事)というのは、半分くらいは一般人の考える「かっこいいもの」で妄想。でも、かっこいいことなんて一切ない。戦争はやっぱりあっちゃいけない。しかし、戦争に憧れる人類の妄想があるために、戦争がなくならないという不幸な現象がある。
ガンダムがなぜ人型なのか?という問いに、人型ロボットの「おもちゃ」を売るためのアニメだからという定番の答えがある。 なぜ人型ロボットのおもちゃに需要があるのかということを考えると、人型(自分の肉体延長)でしかもビームライフルが撃ててファンネルが飛ばせるというのは子どもでも強くてかっこいいと思えるからだ。
戦争を直接知っており、戦争はいけないと思いつつも戦うための道具そのものは魅力的に見えてしまう。 富野監督自身も戦中世代で戦争をリアルに知っているはずだが、「戦争に憧れる人類の妄想」からは逃げきれない。
だからこそ、それが使われた結果、どんな悲しみが生まれるのかを描きたいという思いが根底にあるような気がする。
子どもの頃はガンダムかっこいい、プラモデル作りたいでいいかもしれないが、大人になってそういえば子どもの頃見ていたガンダムってどんな話だっけ?と思い出した時に描かれていたものに気づいてくれればという思いだろうか。
次回予告
またしても長くなってきてしまったので前後編に分けることにした。
事前に断ると、考察の対象はアニメのガンダムだけで、ガンダム以外や小説のガンダム関連作品は含まない。 それと再度言いますと僕はアニメをみること自体は大学生で卒業してしまったので、再度見返して書いているわけではないというのも割り引いていただけると。
というわけで次回も
「見てください!」